バケツの穴
- yamashina shigeru
- 4月2日
- 読了時間: 5分
人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である
樋口耕太郎 著
毎朝5時からの音読会で読んでいる本。
今朝のテーマはここ。
「バケツの穴」
ここでは、資本主義経済の姿が、バケツとその中の水にたとえて、わかりやすく表現されている。
労働者が働いているバケツ。
そこでは、付加価値を生み出すことでお金(水)が増えていく。
そのバケツの真下には、さらに大きな「金融市場」というバケツがある。
そのバケツにいる資本家は、自分たちでは付加価値を生み出さない。
労働者のバケツの底に穴をあけ、そこから落ちてくる水を受け取ることで成り立っている。
そんな構図の話だった。
今朝の音読会では、しばらく病気で参加できていなかった関さんが、久しぶりに元気な姿を見せてくれた。
関さんの話を聞きながら、そして場にいるみんなの声に触れながら、浮かんできたことを三つ残しておきたい。
① 二つのバケツの外に立つ
この二つのバケツの話は、労働者と資本家の違いを理解する上で、とてもイメージしやすいメタファーだと思う。
ただ同時に、そこから抜け落ちている視点もあるのではないかと感じた。
それは、二つのバケツを抱きしめるように、否定せず、愛し、見つめる視座。
つまり、「二つのバケツの外に立つ」ということだ。
どちらか一方に入るのではなく、どちらにも属さず、それでいて、その両方の中で生きる人たちすべてを愛する生き方はあり得ないだろうか。
お金を否定せず、労働を否定せず、むしろ、お金も好きで、働くことも好きである、という在り方。
そんな生き方を探っていくと、その土台には「農」があるのではないかと感じた。
これは、久しぶりに参加してくれた関さんから受け取ったメッセージでもある。
資本主義の世界では、どうしても奪う/奪われる、増やす/減るという二項対立の中に意識が置かれやすい。
一方で農は、種をまき、育つのを待ち、収穫し、また土に還るという、時間と関係性の中での循環に身を置く営みである。
この感覚に立つと、「どちらのバケツにいるか」という問い自体が、少しずれて見えてくる。
ただし、農業もまた市場に組み込まれれば、競争の中に巻き込まれる。
だから本質は農そのものではなく、「循環の感覚を身体知として思い出せる営み」にあるのかもしれない。
もう少し説明を加えると、「人が目や耳や触覚といった自分の思考とは別に、身体が自ら受け取った情報を理解できる範囲(距離感、時間)で、モノやコトが循環している営みの世界の中で、その循環を支える役割として自分が存在できる証があること」といえるだろうか。
そして、その感覚と農がたまたま深く結びついている、ということなのだろう。
どちらにせよ、農にすごく大きな可能性を感じる。
② 本当の貧困について
最低賃金が設定されている日本においても、知的・精神的な問題や、それに伴う貧困、子どもの貧困は確かに存在している。
それをどう解決していくかを考えると、「生きる力を育む」というテーマに行き着くことが多い。
ただ、気になるのは、「生きる力=お金を稼ぐ力」になっていないかという点だ。
たとえば「14歳の挑戦」のような職業体験プログラムでも、テーマは「生きる力」である。
しかし実際には、それは「お金を稼ぐ力」や「社会の中で適応する力」、極端に言えば「従順な労働者になる力」として扱われているようにも見える。
社会や教育の中で、「生きる力=資本家になる力」や、「そもそもそのどちらでもない生き方」については、ほとんど語られない。
まるで、それ以外の選択肢は存在しないかのように。
この構造は、科学的思考ともどこか似ているように感じる。
科学とは、観測・検証・再現が可能な形で扱える現象を対象とする営みである。
そして、その方法で扱えないものは、科学の枠組みでは十分に扱われにくい。
科学的思考が優位な社会では、生きる力を「お金を稼ぐ力」以外の形で語ることが難しくなってしまう。
なぜなら、それは測れないからだ。
・テストの点数
・年収
・就職率
これらは数値化できる。
だから制度に乗せやすい。
一方で、
・感じる力
・関係を築く力
・内面と一致して生きる力
こうしたものは測ることができない。
測れないものは、評価も配分もできない。
社会を安定的に運営しようとすると、生きる力の多様性を本気で追求することは難しくなってしまう。
そんな側面があるのだと思う。
③ 付加価値
やはりここでも「利子」の問題が気になる。
マネーバイアスの読書会で学んだことで繰り返すことになるが。
仮に世の中に存在するお金が総額100万円で、そのすべてが銀行から貸し出されたものだとする。
利子が5%であれば、返済額は105万円になる。
では、その5万円はどこから生まれるのか。
構造的に見れば、それはどこかから新たに生み出されるか、あるいは誰かが新たに借金をすることでしか補えない。
もしそうだとすれば、この仕組みの中では、常に「不足」が生まれ続けることになる。
そして社会が回っているのは、誰かが借金をし続けているからだとも言える。
その意味で、格差や貧困が構造的に生まれてしまう側面もあるのかもしれない。
その中で、人は「付加価値」を生み出すことで、お金の流れをつくろうとする。
市場価値が100円のものに物語を付加し、1万円で販売する。
そこにあるのは、単なる価格操作ではない。
・物語
・関係性
・信頼
・象徴性
そうした要素によって、本来そこに内在していた意味が見出され、価値が立ち上がる。
それは、人やモノ、サービスが持っている本来の力を引き出す行為でもある。
ただし、この付加価値は分断を生む可能性も持っている。
いま、学校給食に自然栽培米を広めようとしている方々のパンフレット制作に関わっている。
そこには、人と自然との本来の関係性を取り戻し、豊かさを感じることができる取り組みがある。
一方で、それは同時に、そうではないお米や、それに関わる人たちとの間に、分断を生み出す可能性も含んでいる。
では、その分断をあきらめずに結び直すことは可能なのか。
そもそも、それは結び直すことができるのか。
ここもまた、興味あるテーマだ。



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