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バス代

  • 執筆者の写真: yamashina shigeru
    yamashina shigeru
  • 2021年12月26日
  • 読了時間: 3分

昨日は、月に一度の親子論語塾でした。 末っ子は12月に6歳になったばかり。


電車とバスを乗り継いでいくのですが、バスの運賃って小銭がないとちょっと焦る。  大人 230円  子供 120円


大人料金を支払うつもりだったけど、10円玉が足りない。

満員の中、運転手さんの横まで両替に行かなければながらない。 どうしよっかなと思いながら、運賃表を見ると、「子ども6歳~」となっていた。


「ん?末っ子は無料なのか、120円なのか?」 という、もやっとする疑問が湧いた。

6歳だけど、幼稚園。

なんか、どんどん大きくなってくる末っ子の姿と、両替めんどくさいという気持ちもあり…。 「今日は350円(大人+子供)払う!」と決めた。 すると、なんかすごく、子どもの成長を祝っている気分になれ、うれしくなった。


論語塾のあるお寺に朝早く到着すると、和尚さんとお茶を一緒に飲める時間を共有できる。 末っ子は、どこで仕入れた情報なのか、「正座は身体に悪い」ということを信じているらしく、お茶席でぼくが正座していると叱る。 「正座したらあかんで!」と。

末っ子は、だらしない座り方でお茶菓子とお茶を飲む。

正座以外の座り方で、お茶菓子とお茶を飲むほうが、難しそうで大変そうだった。 結構得意げに過ごしている。


次に作務として、本堂の壁の水拭きと、松の落ち葉拾い。 その後、座禅です。


最近、座禅の時間を全然嫌がらなくなった末っ子。 そのときも 「お父さん、正座したら足つぶれるから、したらあかんで」 ほぼ周りが正座している中、堂々と注意してくる。 ぼくも正座より胡坐が楽なので、末っ子の指示に従った。


座禅中、末っ子がぼくの肩を叩いてくる。 「叩かれていい?」 「いいよ、和尚さんが前に来たら、合図だしや」 とアドバイスする。 しかし、結局怖くてできなかったみたい。


さあ、座禅のあとは、親子論語塾。

まずは大掃除のお話でした。

掃除は、汚れているからするのではなく、清めるという意味もある。

習い事をしているのなら、習い事をする前と後に、習い事に必要な道具をきれいにする。 ピアノを拭いて、練習を始めて、終わったらもう一度ピアノを拭く。 これは汚れているからするのではなく、清める。 そういった習慣ができていれば、大掃除も楽ですよ、と。


徳は 孤ならず、必ず隣あり の章句も説明していただいた。


この章句は、ぼくも大好きであり、すごく勇気をもらえる言葉として、自分の内なる声として心にある章句だ。


たとえば、 宿題は今日仕上げよう、と決心して勉強を始めた。 すると友達がきて「遊ぼう!」って誘われる。


友達の誘いを断って勉強するか、または遊ぶか。 どちらの選択でもかまわない。


でも、自分が正しいと思う選択ができたとしよう。 それが勉強をすることだったとする。

すると、そのことで、友達と喧嘩になる、なにか変な距離感が生まれることだってある。


正しいと思うことと、それを実際に行動に移すことには、どうしたって距離が生まれる。 大人になると、そんな場面はいっぱいでてくる。


そのときに、正しいと信じる行動をして、その結果、もやっとすることが起きたとする。

それでも、あなたは一人ではない。 孤独ではないよ。


徳は 孤ならず、必ず隣あり




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