グリーンウッドワーカーVOL2(動画はVOL3)
simpleclassic101の林篤宏さんとのど真ん中名刺づくり。
グリーンウッドワークを広めています。
▼simpleclassic101のインスタグラム
前回からのつづき。
林さんにとっての3つの実践は何か
(must×needs、must×wants、needs×wants)
グリーンウッドワークベース
子どもから大人まで楽しめる木工空間を立ち上げたい。
グリーンウッドワークの情報発信
ものづくりの個展の開催
里山整備、森の大学スタッフ
地域の災害、ボランティア支援
(山科)
ここまでお話を聞いてきて、林さんが発した一言が心に残っている。
「曖昧さ」
余白の大切さだろう。
グリーウッドワーカーとしての林さんが、関わって行こうとしている「里山」ってまさにそうなのではないか。
自然がもつ本来の怖さと、人の生活空間。
この対称的な2つを繋ぐ場所が「里山」。
つまり、里山は余白部分だともいえる。
自然にとっても、人にとっても豊かであろう場所。
里山だけではなく、この余白がどんどん薄くなってきていることが、多くの問題を生み出しているのではないか。
覚悟を決めて生きることも大事だが、曖昧さを許容する生き方も大事なんだと思う。
グリーンウッドワークだけでどう生きるか、それともライスワークと併用して生きるか。
グリーンウッドワークだから電気は使わない、しかし、必要に応じて許容することも大事なはず。
ここにも曖昧さがテーマにある。
曖昧であることは、人が許容できる余白を残しておくことにつながる。
林さんの仕事の本質は、曖昧なことも大事だということを伝える活動でもあるのではないか。
白黒をつけることは、対立を生むことでもある。
(林さん)
実は、曖昧な人生なんです。
原点に戻ることになる。
中学3年生のとき。
もともと工芸高校に行きたかったが、親から止められ、普通科に進学することになる。
ここから曖昧さが生まれた。
勉強は好きではなかった。
親は工芸の道へ行くのなら、大学に進学するときでいいと。
しかし、同級生が大学に進学する中、高校卒業後、機械メンテナンスの仕事に就職を決める。
普通科しかでていない。
専門知識が足りない。
専門職の人には太刀打ちできないというコンプレックス。
その中で、グリーンウッドワークに出逢った。
(山科)
曖昧な自分ということを、グリーンウッドワーカーとして、「曖昧さこそ豊かであり可能性を秘めている」と、過去を逆転させるような人生がここから始まる。
グリーンウッドワークの自分
里山と自分
アーティストの自分
(林さん)
人生は曖昧なのに、曖昧さを嫌う性格でもある。
だからこそ、サラリーマンでありながら職人のような生き方をしたり。
人前で商売するようなキャラクターでもないのに、イベントに出店したり。
次回、具体的に名刺にしていきます。
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