熟達論
為末大 著
読了
「冒険の書」の読書会を終え、その余韻を感じながら読むには、最高の1冊だった。
いろんなことを語りたいのだが、そんなに長くならない程度に自分の言葉で感想を述べたい。
人が熟達していく道は、「遊」からはじまり、「空」に至る。
なぜ「遊」から始めることが大事なのか。
「遊」は、もっとも主体性があり、予測不能であり、目的不要であり、変容する可能性を秘めている。
最後の到達点は、「空」、つまりフローな状態だ。
人は、言葉を操る。
故に、世界を分けて認知する。
この言葉の世界を超え、自分の外と内がひとつになる瞬間。
これが「空」であり、フローな状態。
この世界は、体験しようとおもって体験できるような世界ではない。
しかし、トップアスリートなど熟達者たちが、稀に経験する世界。
この「空」の世界から、また「遊」に戻る。
この「空」の世界が最終到達点ではなく、「遊」に戻り、循環していくこと。
それこそ、人が学ぶ理由であり、人間として生まれた理由とも言えるほどの価値がそこに内在している。
つまり、なぜ「遊」から始めるかというと、「空」から次の新たな循環を生み出すためには、最初に「遊」があることが大事だから。
これが最大の理由のように感じた。
個人的には、著者が言えるほどの「空」かどうかわからないが、そういった瞬間を味わったことがある。
この「遊」~「空」~「遊」~・・・、の世界を体感する条件として、身体感覚がすごく大切なんだと。
身体を通じて、外の世界に触れ、内なる世界を内観する。この循環にこそ、人間の喜びがある。
身体感覚
遊
空
あまり多くを語る言葉はないのだが、これから10年、20年、すごく大切なキーワードになるように思う。
ど真ん中を生きる道、を考えた場合。この3つにキーワードをどう取り入れていくか。
ここも大きなテーマだと感じている。
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