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利他って

ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考

松波 龍源 著

読了



松波龍源さんを知ったのは、コテンラジオでの深井龍之介さんとの対談だった。

動画の中で語られていた「空」の話が、ずっと心に残っていた。


空とは、何もないということではない。

そこにあるのは「関係性」だけだということ。


ぼくたちは、確かな実体がある世界に生きているように感じている。

しかし実際には、固定された「私」や「他者」があるのではなく、関係の中で一時的に立ち上がっている存在にすぎない。


目の前にある実体が存在できているのは、それを観察している「私」の存在があるからで、「私」が、「これは石だ」「これは椅子だ」「あなたは他人だ」と認識しているだけである。

実際は、そこに関係性があるだけなのだ。



この視点を手がかりに本書を読むと、「輪廻転生」や「利他」という概念も、これまでとは違う形でつながって見えてきた。


ぼくはこれまで、輪廻転生を強く信じていたわけではない。

信じているかどうかと問われれば、信じていると答えるのだろうが、何か根拠や信念があるわけではない。


けれど、身体を構成する分子が世界と絶えず交流し、循環していると考えれば、「存在は受け渡され続けている」とも言える。


記憶さえも、物質に固定されているのではなく、細胞や環境との関係性の中に蓄積されるという話を聞いたことがある。


もしそうなら、肉体が朽ちても、その構成要素や関係性は次の世代へと受け渡されていく。輪廻とは、魂の移動というより、科学的な視点として「関係性の連鎖が途切れないこと」と捉えることもできるのではないかと思った。


本書では、空の立場に立てば、善悪さえも固定できないと語られる。

世界は一人ひとり異なる認知の中にあり、人間の数だけ異なる世界が存在していると言っても過言ではないのだろう。


お互いのどんな関係性が良い結果を生むかは死の間際まで分からない。

因果は、死ぬ間際までではなく、死後も続いていく。


そう考えると、日常の何気ない振る舞いも、意図するしないに関係なく、関係性のネットワークに影響を与え続けている。

その連鎖が止まらないという意味で、輪廻は確かに「ある」とも言える。




そして「利他」。


これまで私は、利他とは「他者を優先すること」だと漠然と理解していた。

しかし空の視点から見れば、「私」と「他」は固定された実体ではないことに気づく。


そこでこの「利他」という漢字をもう少し考えていくと、「他者のため」ということは、

「他者とは何か」

「他者と認識している私とは何か」

「私と他者の違いは何か」

そんな根源的な問いに出会うことになる。


ここに「空」の概念を加えるとするなら、私とは、私以外との関係性の中でしか成立しない、といえる。


「私」という存在を成立させるためには、「他者」が必要だ。

そうであるならば、

私=他者

という等式さえ成り立つのではないか。


利他とは、他者に何かを施すことではなく、私と他が分かれていないという事実に気づき、その関係性の中で自然に行為することなのだと思えた。



この

「空」

「輪廻」

「利他」

の視点は、ど真ん中名刺をつくるエディットワークにもつながっている。



ど真ん中エディットワークでは、三つの円の重なり――やらなければならないこと、求められていること、やりたいこと――その中心を探すことを前提としている。


しかし、実は一番大切にしているのは、三つが完全に重なるど真ん中を表現することではなく、むしろ、二つの円が重なる三か所だ。

(言葉だけで説明するのは難しいのだが)


そこに生まれるのは「実践」だ。


実践とは、関係性の中に立ち会うこと。

具体的な縁の中で、向き合うこと。


しかし同時に、その縁としての実践を乗り越え、関係性を超えた「今」という次元に変容できるかどうかも試されているように感じる。


世の中は関係性だからこそ、ゴールではなく、目の前にある物語を紡ぎつづける。

世の中は関係性だからこそ、物語に執着せず、新たな希望で世界を切り開く。

 

どちらが正しい道ということではなく、この2つの可能性を携え続けることが重要なように思う。

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