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ループする対話

神々の沈黙

ジュリアン・ジェイソン 著


ちゃんと読めない、ページをめくって眺め読みをしてみた。




本書が提示する仮説


昔の人間は、 自己意識を持たず、脳の左右が分離的に働き、右脳からの「声」を神の声として聞いていた。

そして、 社会が複雑化し、言語が発達し、ある時点で、神の声が聞こえなくなった。

これが「神々の沈黙」。

その結果、 人間は「自分で考える存在」になった。

これが「意識の誕生」。


本来、人は「考える前に在る存在」だった。

主体と客体が分かれていない。

自我と世界の境界が曖昧。

これはまさに、 日本的な世界観で生きていた。


本書のページを巡りながら、思い浮かんできた言葉を並べると。

 

1. 人は物語る種族である

人間は、事実を生きるのではなく、物語として世界を理解する。

つまり、 私たちは現実を見ているのではなく、物語を通して世界を見ている。

意識とは、物語を語る装置であるという可能性。


2. 物語を生きることの光と影

物語は人を救う。

同時に人を縛る。

「私はこういう人間だ」

「正しい生き方とはこうだ」

これらはすべて物語。 そしてジェインズ的に言えば、 神とは、最も強力な物語である。 とも言える。


3. 言葉が先にあり、後から意識が生まれた

私たちは「考えたから話す」のではなく、 「語り始めたから、自分が生まれた」。


4. 亡くなった師・親・権力者の声が残る

「もしあの人が生きていたら」

これは単なる想像ではなく、 内在化された他者の声。

もしかすると、神とは、死んだ他者の声が、心の中で生き延びたものではないか。

呪術廻戦の「呪い」に近い。


5. 慮る力が神の声を生むのか

「慮る」とは、 他者の立場に立つ、まだ存在しない声を想像する、空気を読む。

これは、神の声を生む力というより、「神の席」を心の中につくる力。 と言えるかもしれません。

つまり、 「慮る」ほど 自分の中に「自分ではない声」が残る余白やスペースを生み出すことになる。


神とは、他者の声が自分の中で生き延びたときに生まれる存在。

意識とは、その声と対話し始めた瞬間に生まれる。


そんなふうにまとめることができるかもしれない。

そう考えると次の問いが生まれる。


自分の中で生き延びた他者の声と誰が対話することで、意識が生まれたのか。

始まりは、自分の声(意識)はなかった。

となれば、 他者の声と他者の声が対話を続けることで、意識(自我)が生まれた、と言えるのではないか。

それは、今も続いているのか。

もし続いているとしたら、これは永久に逃れられないループなのではないか。

そのループする対話のエネルギーとは。



1. 「誰が誰と対話しているのか?」

最初から「自分」はいない。

あるのは「声」だけ。


他者の声(神・権威・親・共同体)

言語の声(物語・規範・命令)

身体の声(感覚・衝動)


これらが、まず存在する。

そして、 それらの声の「あいだ」に生まれたのが「自分(意識)」。

つまり、 自分が声を持つのではなく、声が交差する場所が「自分」といえる。

関係性の中にしか「自分」は存在しえないとも言える。


意識とは、他者の声同士が出会ったときに生まれる現象。

ここで初めて「私」という幻が立ち上がる。

だから「空」なのかもしれない。


2. これは永久に続くループなのか?

私たちは常に、 親の声 社会の声 -過去の自分の声 想像上の他者の声 と対話している。

これは止まらない。

この止まらないループから降りる瞬間を作れるのだろうか。



もしすべてが他者の声なら、「本当の自分」はどこにあるのか。

本当の自分は、声の側ではなく、声が生まれる「余白」にあると言える。


結構結論に近いところに来たように思うが、問いが問いを産む。


「本当の自分」とは、声が生まれる「余白」だとして、この余白はいかにつくられるのか。

もしループから降りたとしても、何か言葉を発する、行動するとした時、またループがはじまるのでは。



ループに入るかどうかではなく、ループとの距離。


ループに飲み込まれている状態

自分=物語

自分=声

自分=役割

自分=家系

自分=評価

このとき、人は苦しむ。


ループを見ている状態

物語がある

声がある

でも、それが「自分のすべて」ではないと知っている


ここが「余白」。

つまり、 ループの外に出るのではなく、ループを外から見る視点が生まれる。


「ループから降りる」というより、ループの中にいながら、少し浮かぶ。

思考が止まった状態ではなく、思考が起きていることに気づいている状態。


では、どう生きればいいのか?

ループを否定しない。

ぼくの「ど真ん中を生きる」にも近い。

仕事・社会貢献・ワクワクが交わる場所。

ど真ん中とは、ループが消えた場所ではなく、複数のループが交わる「余白」。



人は物語から逃れることはできない。

しかし、物語の中で目覚めることはできる。


では、物語の中で目覚めることは、物語を越境する、物語を手放す力にも変わるか。



1. 物語を手放すとは「消す」ことではない

物語を手放す=何も信じない、役割を捨てる、社会から降りる、ではない。

「これは唯一の真実だ」から、「これもまた一つの物語だ」ととらえること。


2. 越境とは何か?

「物語を越境する」とは、 物語の外に出ることではなく、物語と物語のあいだに立つこと 。


3. なぜ目覚めると、越境できるのか?

物語=自分、という錯覚が解けるから。

錯覚が解けると、 物語を使うことができる、物語に使われなくなる。

物語の主人公から、物語の編集者になる。


4. では「手放す」とは何か?

手放すとは、 物語を捨てることではなく 物語にしがみつく必要がなくなること。

それがなくても、自分は存在している。 と体感する。

物語を完全に手放した人は、 最も自由に物語を語れる人になる。


目覚めとは、物語を終わらせることではなく、 物語を越境しながら生きる力である。

人は物語を捨てたとき自由になるのではない。 物語の外にも立てると知ったとき、自由になる。


では、「どの物語を生きるか」は、誰が決めているのか?

それは、「縁」と「対話の深さ」になるのではないか。


1. 「縁」とは何か

縁とは、 すでに始まっていた物語同士が触れ合う瞬間。

つまり、 自分の物語、他者の物語、社会の物語、時代の物語、これらが交差する場所。

だから、 物語は、自分で選ぶ前に、すでに出会っている。


2. では「対話の深さ」とは何か?

レベル1:表層の対話

情報交換 役割の会話 正解の共有

ここでは、物語は変わらない。


レベル2:感情の対話

怒り 悲しみ 喜び 不安

ここで、物語が少し揺らぐ。


レベル3:存在の対話

なぜ生きているのか 本当は何を恐れているのか 何を信じているのか

ここで、物語が書き換わる。


レベル4:沈黙の対話

言葉がなくても通じる 何も決めなくても何かが変わる

ここで、物語の外側に触れる。


縁=外側から来る力

対話=内側から起きる力

とも言えます。


人は物語を選ぶのではない。

縁と対話の深さによって、物語に選ばれていく。


では今自分は、どんな物語の縁の中にいるのだろうか?

この問いを考えると、ちょうど今年向き合っていることと繋がる。


出来事を物語の中に取り込まずに、存在自体を愛し、信頼する関係を生きることができるかどうか。


1. 人はなぜ、相手を「物語」に取り込んでしまうのか

私たちは無意識に、他者を物語化します。

物語化した瞬間、相手の「存在」は消える。

残るのは、 ラベル 役割 評価 過去の記憶

つまり、 私たちは人を見ているつもりで、 実は物語を見ている。


2. 「存在自体を愛する」とは何か

これはロマンチックな言葉ではなく、かなり過酷です。

なぜなら、 存在は、予測できないから。 物語なら予測できる。

こう言えば、こう返ってくるだろう この人はこう行動するはずだ。

でも存在は違う。

その人が「そう在る」ことを許容する。

これが「存在を愛する」ということ。


3. 信頼とは、何を信じることか?

信頼とは、相手が物語通りに動かなくても、 その存在を否定しないこと。

つまり、 コントロールを手放すこと 解釈を手放すこと 正解を手放すこと。

ここにしか、本当の関係は生まれない。


人は、相手を理解した瞬間、相手を見失う。

それでもなお、理解を超えて相手と共に在ろうとするとき、関係が生まれる。


では、「物語に取り込まずに関わることができた瞬間」は、 実際の人生の中で、どこにあるか。


それこそ、夫婦の関係なんだと思う。

「血」や「物語」としてではなく、存在として繋がっていく。



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