生殖記
朝井リョウ 著
読了
妻からのオススメ本。
少しだけ感想を残します。
主人公は同性愛者で、そのことを自覚しながら、家族、学校、社会にバレないように生きる姿が描かれている。
そこにある葛藤は思っている以上に根深い。
なぜバレてはいけないと、感じるのか。
なぜ恥ずかしいことだと、感じるのか。
なぜ謝らないといけないと、思うのだろうか。
この漠然とした感覚はどこからやって来るのだろうか。
表面的な悩みというより、もっと根深いところにある問いに向き合う世界が紹介されている。
この社会が、この世界が、この宇宙が、「拡大・発展・成長を前提としたルール」で成立しているとしたら。
同性愛者は、この大いなるルールから逸脱している存在なのではないか。
だからこそ、恥ずかしく、謝らなければならない存在なのだと。
ではどう生きるべきか。
そこが問われる。
大いなるルールから外れた「ほんとうの自分」の存在は、家族にも社会にもバレてはいけない。
主人公は、そのために、拡大・発展・成長につながる思考や行動を一切断ち、かつ、詮索・依存関係にならないように経済的自立を計る。
この計画を実践するために何年もかけて自己形成していくのだ。
そして、他者や社会と関わるときは、自分の存在感を消し、拡大・発展・成長の世界の中で、ひっそりとカメレオンのように馴染むように、常に自己と対話をして、自らに課したルールに沿った言動を行うようになる。
ついには、意識せずとも流れ作業のごとく、カメレオンとして他者とコミュニケーションを行うことができるようになる。
常に「自己との対話」を行い、自らを客観視し、自分の感情や思考を観察できている状態
一見、これは素晴らしいことのように思える。
主人公なりの世界観の中で、幸せを追求できているのだ。
しかし、「自己との対話」の「自己」とは誰なのか。
本当は、心の深層にある「ほんとうの自分」との対話であるべきなのだが、この場合、「ほんとうの自分」ではなく、むしろ、ほんとうの自分の存在を消すためにつくり出したもうひとつの自分。
影(シャドー)になるのだろう。
影は、おそらく普通は意識化できないのだろうが、影を意識化しつつ、その影と手を組んで生きる道を選択したのだ。
この物語は、同性愛者という「性」を軸として、その根底に流れている生物の進化のルールからの逸脱に対する原罪がテーマになっているように思う。
しかし、世の中には、大げさではなくても似たように感じている人は無数にいるはずだ。
身長の低さかもしれない、体臭かもしれない、体重かもしれない、親かもしれないし、フェチズムかもしれない。
とにかいろんな課題に対して、自分を守るために自分と社会との間にオリジナルなルールを設定する。
そのルールを正確に実践するために、敢えて自分の影(シャドー)と手を組む道を選択する。
ある意味、むちゃくちゃ賢い方法だ。
この結果どうなるのか。
他者との対話とつながりは、どんどん失われていくだろうし、
傷を負ったペインボディが誕生し、ペインボディは次世代に継承されていくことになるのだろう。
ではどうする。
ここを問いかけている著書だった。
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