賢を見ては斉しからんことを思い、 不賢を見ては内に自ら省みる。
優れた人物を見ては、このようになりたいと思い、つまらぬ人物を見ては、自分もこのようではないかと反省する。
(「実践・論語塾」安岡定子著)
最近マンションのごみ集積場に指定日ではないのにゴミを置いてあったというニュースが、エレベーターの中に貼りだされてあった。
その内容は
・指定日以外にゴミを出してはいけない
・ちゃんと集積場に置いてなかった
・しかも分別がされてないゴミだった
・その実物の写真
この事実を見て思ったことは2つ。
このマンションは分譲マンションであるということを考えると、ほとんどの住民は長年住んでいる人が多いはず。その中で、突然ゴミ出しができてない人がいたということは、何かその人に問題が起きたのではないか、環境に大きな変化があったのではないか…。
ゴミの問題というか、その人の人生に何が起きたのか…、すごく心配になった。
もうひとつは、
貼り出されたチラシの表現や注意方法に、何かもうちょっとうまく伝える方法はなかったのか。ここにクリエイティブな発想を要求するのは厳しいのかもしれないが、何かアイデアがあればいいのになと感じた。
さて、章句。
人は、いい情報に触れた時、参考にしたいと強く思う。
でも、悪い情報に触れた時、批判ではなく自分も同じような失敗をしないようにと思えるかどうか、、ここがとても難しい。
ゴミ出しの問題は、確かに家庭のゴミの出し方は、ルールを守るだろうし、他人に迷惑をかけるようなことはしないと思う。
でもそれ以外はどうか。
公園で食べたときの包装紙はどうか。
バスの中で出たゴミはどうか。
ファーストフードのときのゴミの分別したか。
つまり、誰もみていないひとりのときと、誰かがみていることが前提のときと、
態度を変えていないか。
そのことを伝えている章句なのだろう。
Comments