top of page

真面目

更新日:2020年2月20日

子どものころ、「真面目だね」とよく言われた。

その言葉は、決して誉め言葉ではなく、ちょっと嫌味を含んだ感じ。

 

振り返ると、子供の頃は真面目であるということは、恥ずかしいことだ。

そんな感情があったことも確かだ。

それでも、自分は真面目に授業を受け、先生の言うことに従った。

誰かに刃向かうような勇気は持ち合わせてなかったし、真面目であるほうが素の自分であるということはわかっていた。

 

大人になっても、「その仕事は、そんなに真面目にしなくてもいいから」と言われたことがある。

その時に、「あ、世の中はそういうものなのか」と思う反面、自分をごまかすのが嫌だと思う感情も生まれた。


仕事って何だろう?

とおもうこともあった。

 


時間は一定のようで実は歪んでいるという話を聞いたことがある。

大きく歪む理由のひとつが、心に不安がある状態、または、思いと行動が一致してない状態のときだそうだ。


考えてみると確かにそうだ。

不安や心配なことがあるときは、時の流れるのがすごく遅く感じる。

プールの授業が、なんとも長く感じたことか。

結局、それはつまり、思いと行動がずれているときだ。

やりたくないと思っていることをしているときは、時間の流れがおそく感じる。

 


十の仕事を情熱を傾けて、十二の力で真面目に事にあたると、時間の流れは変わる。

時を味方につける方法のひとつが、真面目なのかもしれない。

最新記事

すべて表示
自己反省

修身を学ぶ会富山 第11講 長所と短所 今回のテーマは、 内面の長所と短所 、そして 外面の長所と短所 に、私たちはどのように向き合うことが大切なのか、というものだった。 長所をどう伸ばすのか。 短所をどう受け止めるのか。 一見、よくある問いのようでいて、しかし掘り下げていくと、とても根の深いテーマである。 まず、内面――精神面の成長について考えたとき、単純に「長所を伸ばす」「短所を克服する」とい

 
 
 
発願

修身を学ぶ会富山 第9講 発願 「道の上では師に譲らず」 第9講の最初のところに、この言葉が紹介されていた。 この言葉にすごく似た有名な論語の章句がある。 仁に当たりては 師にも譲らず 自分の心にある「仁」。 思いやる心、相手を大切にしたい気持ち、大事にしたい気持ち。 自分が一生ついていこうとする尊敬する師がいるとして。 その師からのお願いだったとしても、自分の中にある「仁」に反することであれば、

 
 
 
希望の種を拾う

修身を学ぶ会富山 第7講 身代わり 小学校の低学年だったころ、同級生が雪の事故で亡くなるという出来事が起きた。 当時担任だった、いつもやさしい女性の先生は、事故後、まるで別人のように表情が硬くなり、少し冷たい空気を常にまとっているようになった。 その変貌ぶりがあまりにも印象的で強く記憶に残っている。 きっと、その時の担任の先生は、感じるの必要のない「責任」と、死を覚悟したのかもしれない。 数か月間

 
 
 

コメント


bottom of page