子どものころ、「真面目だね」とよく言われた。
その言葉は、決して誉め言葉ではなく、ちょっと嫌味を含んだ感じ。
振り返ると、子供の頃は真面目であるということは、恥ずかしいことだ。
そんな感情があったことも確かだ。
それでも、自分は真面目に授業を受け、先生の言うことに従った。
誰かに刃向かうような勇気は持ち合わせてなかったし、真面目であるほうが素の自分であるということはわかっていた。
大人になっても、「その仕事は、そんなに真面目にしなくてもいいから」と言われたことがある。
その時に、「あ、世の中はそういうものなのか」と思う反面、自分をごまかすのが嫌だと思う感情も生まれた。
仕事って何だろう?
とおもうこともあった。
時間は一定のようで実は歪んでいるという話を聞いたことがある。
大きく歪む理由のひとつが、心に不安がある状態、または、思いと行動が一致してない状態のときだそうだ。
考えてみると確かにそうだ。
不安や心配なことがあるときは、時の流れるのがすごく遅く感じる。
プールの授業が、なんとも長く感じたことか。
結局、それはつまり、思いと行動がずれているときだ。
やりたくないと思っていることをしているときは、時間の流れがおそく感じる。
十の仕事を情熱を傾けて、十二の力で真面目に事にあたると、時間の流れは変わる。
時を味方につける方法のひとつが、真面目なのかもしれない。
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