確信犯
- yamashina shigeru
- 6 日前
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ライフトラベラー(2)
ライフトラベラーの塚田敦子さんとど真ん中名刺リニューアルの打ち合わせ。
前回からのつづき
『自分ど真ん中の本音』で生きる女性を増やす
家族経営について
家族経営というものは、多くの人が思っている以上に、実はとても大事なテーマなのではないかと思う。
日本には、家族経営の会社が本当に多い。
大企業から零細企業まで、規模の大小にかかわらず存在している。
これは、日本独特の経営文化だと語られることもある。
ただ、語られるときは、どちらかというとネガティブな側面が強調されがちだ。
たとえば、
・コンプライアンスが守られていない
・依怙贔屓がある
・合理性より情が優先される
そんなイメージが先に立つ。
けれども、それらのネガティブな要素以上に、もっと本質的なポイントがあるのではないか、と感じている。
家族で一つの仕事をしていく、ということ。
これは想像以上に難しい。
他人であれば、比較的言いやすいことが、家族だと、なぜか言えなくなる。
言葉にすれば簡単なのに、関係が近すぎるがゆえに、言葉が詰まる。
本当は、家族だからこそ、「人生の未完」について語り合える関係であれたらいい。
でも、一般的な家族関係の中で、それを実現するのは、とても難しいのではないか。
むしろ、家族だからお互い干渉しないことが大切にされるかもしれない。
ところが、家族経営になると、半ば強制的に「語らざるを得ない状況」が生まれてくる。
もちろん、逃げることもできる。
距離を取ることもできる。
けれども、どうしても逃げきれない場面が現れる。
仕事という現実が、家族の関係性を表に引きずり出してしまう。
普通の家庭であれば、人生の未完を表に出さなくても、とりあえずは問題にならないまま生きていけるかもしれない。
でも、家族経営では、未完のままではいられない瞬間が訪れる。
では、家族経営の意味とは何だろうか。
それは、血のつながりがあるという事実の上で、本当の意味での対話を、家族の中に構築できるかどうか。
その課題に向き合うことなのではないか。
そして、その課題を乗り越えていくことは、その家族だけの問題にとどまらない。
ひとりひとりが、人生の中で未完了のまま抱えてきたテーマを、もう一度、組み立て直していく場所になる。
それが結果的に地域に、または世代を超えて、影響していくことなのではないか。
家族経営は、ある意味で「修行の場」なのかもしれない。
修行の場と捉えたとき、もしかすると、家族経営ほど厳しい修行はないのではないか。
家族経営のよさは、実は「利益」よりも「対話の深さ」にあるのではないか。
利益を上げることが、必ずしも一番の目的ではないように感じる。
けれども、結果として、対話が深まれば、利益につながっていく。
関係性が一致していけば、組織の力も自然と立ち上がってくる。
たとえば、黒字になるタイミング。
それが、今なのか、10年後なのか、あるいは子どもの世代なのか。
この時間軸の幅が、家族経営の特徴なのではないかと思う。
短期的な成果だけではなく、世代をまたぐ時間感覚の中で、経営が営まれている。
ただ、この課題を、当事者同士だけで向き合うのは、やはり難しい。
そこには、第三者の役割も必要なのではないかと思う。
家族の外にいる誰か。
利害関係だけではなく、対話そのものを支える存在。
たとえば、大切な人が亡くなって、はじめて生まれる対話もある。
「存在」が消えてから、ようやく言葉になる思い。
生きているあいだには語れなかったことが、不在によって浮かび上がってくる。
もしかすると、家族経営とは、そうした「遅れてやってくる対話」を、生きているうちに引き受けようとする営みなのかもしれない。
そう捉えるとすると、ぼくはまだまだ対話ができていないことを実感する。
実感するといか、むしろ、確信犯だ。
ここに向き合っていく力が必要だ。

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