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確信犯

ライフトラベラー(2)


ライフトラベラーの塚田敦子さんとど真ん中名刺リニューアルの打ち合わせ。

前回からのつづき


『自分ど真ん中の本音』で生きる女性を増やす




家族経営について


家族経営というものは、多くの人が思っている以上に、実はとても大事なテーマなのではないかと思う。


日本には、家族経営の会社が本当に多い。

大企業から零細企業まで、規模の大小にかかわらず存在している。

これは、日本独特の経営文化だと語られることもある。


ただ、語られるときは、どちらかというとネガティブな側面が強調されがちだ。

たとえば、

・コンプライアンスが守られていない

・依怙贔屓がある

・合理性より情が優先される


そんなイメージが先に立つ。

けれども、それらのネガティブな要素以上に、もっと本質的なポイントがあるのではないか、と感じている。


家族で一つの仕事をしていく、ということ。

これは想像以上に難しい。


他人であれば、比較的言いやすいことが、家族だと、なぜか言えなくなる。

言葉にすれば簡単なのに、関係が近すぎるがゆえに、言葉が詰まる。


本当は、家族だからこそ、「人生の未完」について語り合える関係であれたらいい。

でも、一般的な家族関係の中で、それを実現するのは、とても難しいのではないか。

むしろ、家族だからお互い干渉しないことが大切にされるかもしれない。


ところが、家族経営になると、半ば強制的に「語らざるを得ない状況」が生まれてくる。

もちろん、逃げることもできる。

距離を取ることもできる。

けれども、どうしても逃げきれない場面が現れる。

仕事という現実が、家族の関係性を表に引きずり出してしまう。


普通の家庭であれば、人生の未完を表に出さなくても、とりあえずは問題にならないまま生きていけるかもしれない。

でも、家族経営では、未完のままではいられない瞬間が訪れる。


では、家族経営の意味とは何だろうか。


それは、血のつながりがあるという事実の上で、本当の意味での対話を、家族の中に構築できるかどうか。

その課題に向き合うことなのではないか。


そして、その課題を乗り越えていくことは、その家族だけの問題にとどまらない。

ひとりひとりが、人生の中で未完了のまま抱えてきたテーマを、もう一度、組み立て直していく場所になる。

それが結果的に地域に、または世代を超えて、影響していくことなのではないか。


家族経営は、ある意味で「修行の場」なのかもしれない。

修行の場と捉えたとき、もしかすると、家族経営ほど厳しい修行はないのではないか。


家族経営のよさは、実は「利益」よりも「対話の深さ」にあるのではないか。

利益を上げることが、必ずしも一番の目的ではないように感じる。

けれども、結果として、対話が深まれば、利益につながっていく。

関係性が一致していけば、組織の力も自然と立ち上がってくる。


たとえば、黒字になるタイミング。

それが、今なのか、10年後なのか、あるいは子どもの世代なのか。

この時間軸の幅が、家族経営の特徴なのではないかと思う。

短期的な成果だけではなく、世代をまたぐ時間感覚の中で、経営が営まれている。


ただ、この課題を、当事者同士だけで向き合うのは、やはり難しい。

そこには、第三者の役割も必要なのではないかと思う。

家族の外にいる誰か。

利害関係だけではなく、対話そのものを支える存在。



たとえば、大切な人が亡くなって、はじめて生まれる対話もある。

「存在」が消えてから、ようやく言葉になる思い。

生きているあいだには語れなかったことが、不在によって浮かび上がってくる。


もしかすると、家族経営とは、そうした「遅れてやってくる対話」を、生きているうちに引き受けようとする営みなのかもしれない。


そう捉えるとすると、ぼくはまだまだ対話ができていないことを実感する。

実感するといか、むしろ、確信犯だ。


ここに向き合っていく力が必要だ。

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