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考える

考えるということ

岡本よりたか 著

読了




不思議なことに、この本は妻が選んだ。

妻が読み、「ぜひ読んでほしい」と手渡してくれた一冊だ。

そして、この本へたどり着くまでには、『星の王子さま』という一冊を経由している。


妻が特に勧めてくれたのは、後半の「暮らしから考えること」という章だった。


どんな家に住み、どんな庭を眺め、朝はどんな気持ちで目覚め、パートナーにどんな言葉をかけ、どんな道具を手にし、心の安定のために何に勤しみ、そしてこの世に生まれて何を成し遂げようとするか。そこまでを含めて暮らしだと思います。

そんな言葉から始まる。


「あぁ、妻が望んでいる世界は、こういう世界なのだな。」

その思いが痛いほど伝わってきた。

そして同時に、そのどれも、まだ十分には叶えられていない自分にも気づく。




いま社会は、「考える」という営みを手放す方向へ進んでいるようにも見える。

もちろん、それは思考停止という意味ではない。

考えることはAIに任せ、人間はより創造的で直感的な活動へ向かう、という流れでもあるだろう。

あるいは、これまで「考えること」を重視しすぎてきた反動として、バランスを取り戻そうとしているのかもしれない。


しかし興味深いのは、「考えるということ」の大切さを語っているのが、無肥料栽培家である岡本さんだということだ。



では、「考える」とは何だろう。

ぼくは、それは「想像すること」であり、「慮ること」なのだと思う。


目の前のことだけでなく、その先を思い描き、自分以外の存在や未来にまで心を巡らせる力。

さらに言えば、自分で勝手に決めてしまった枠を超えていくことでもある。


この瞬間の満足だけを考える。

自分に関係する範囲だけを考える。

専門分野という狭い世界だけで考える。


そうした閉じた視点ではなく、

「千年先まで考えたらどうだろう。」

「太陽系全体から眺めたらどうだろう。」

「目に見える世界と、見えない世界の両方を含めたらどうだろう。」


そんなふうに、想像を広げ、慮っていくこと。

そこから生まれた直感的なビジョンを現実へ落とし込むために、知識を学び、技術を身につけていく。

その順番なのではないかと思う。


そして、そのビジョンを実現したいという情熱が、人を前へ進ませるのだろう。

そう考えていくと、大きなテーマが現れる。

情熱とは、どこから生まれてくるのだろうか。




妻から大きなテーマを受け取るたび、必ずと言っていいほど心に浮かぶ言葉がある。


「慮る」という言葉だ。


『大学』には、こんな一節がある。


止まるを知りて后定まる有り。

定まりて后能く静かなり。

静かにして后能く安し。

安くして后能く慮る。

慮りて后能く得。



伊與田覺先生は、この「慮りて后能く得」を、

「物事を正しく会得できる」

と解説されている。


いつも、この説明に深く感心する。


「慮る」という行為は、単なる心配や気遣いではない。

思いを十分に巡らせた先に、物事の本質を正しく会得すること。

そこに至って初めて、人は自ら納得し、満足して行動できるのだろう。(慮りて后能く得。)



「考える」とは、知識を積み重ねることではない。

想像し、慮り、自分という枠を超えて世界を見つめること。

その積み重ねが、暮らしをつくり、生き方をつくり、未来をつくっていく。


ぼくの人生に常に横たわる「慮る」というテーマ。

それをいつも見せてくれる妻の存在。


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