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執筆者の写真yamashina shigeru

身体知

毎朝の音読会。

ついに第5章までたどり着きました。


ニュー・アース

エックハルト・トール 著



感情の誕生/感情とエゴ


思考や感情がエゴになるのは、思考や感情が自分と完全に同一化したとき。

身体は、有機体としての身体自身の知性がある。

感情は、心に対する身体の反応である。

心は、観察されていない心やあなた自身のふりをする頭の中の声も含まれる。


身体は頭の中の声が語る物語を信じて反応する。この反応が感情である。

そこで生まれた感情が、その感情を生み出した「思考」にエネルギーを供給する。


原因→心→身体知→感情→心→…無限ループ的な。

常に生命として、インタラクティブに反応し続けることになる。



あまりにも壮大なテーマだ。

同じ内容をもう一度まとめると。


私の心や思考を、身体知が受け取り、感情が生まれる。(心→身体知→感情)

私の感情は、感情を生み出した心や思考にエネルギーを与える。(感情→心→身体知…)

さらにその感情は、他者に伝染する。(私の感情→他者へ、他者の感情→私へ)

心といっても、目の前で起きた出来事だけではなく、無意識に信じている物語の影響も受ける。

無意識に信じている物語とは、子どもの頃の環境に大きく影響されている。



感情が他者に伝染するのであれば、「自分の感情」も「誰かの感情」に影響されていることになる。

誰かの感情に影響されたであろう自分の感情が、さらに自分の心にエネルギーを注ぐ。

さらに、そもそも心は今の出来事だけではなく、無意識の物語、幼少期の環境や育ちにも影響されている。


そう考えていくと、自分の心や感情は、自分だけのものではないことになる

物語、育ち、環境、誰かの感情、それが絡み合って心や感情があるのに、「自分の心」、「自分の感情」と信じていることになる。

では、私とは何者なのか。




「思考や感情が自分と完全に同一化したときにエゴが生まれる」

この言葉にある「自分」とは誰なのか。


自分の思考

自分の心

自分の身体

自分の感情

自分

どれが自分なのだろうか。

どれもが自分だし、自分じゃないとも言える。


自分と他人の境界線はどこにあるのだろうか。

自分は一体誰なのか。



また、身体は思っている以上に大きな意味があるということ。

上記の説明のとおりであれば、感情は、身体があることで生まれることになる。

身体、身体知が、大きな意味を成している。

 

では、なぜ身体、身体知が存在するのか。

何のために身体、身体知が必要なのだろうか。


ただ、身体知があることで生まれる感情、それからのループを乗り越える方法として、

「身体」を利用する方法があるということ。



最後に微笑ましいと感じたこと。

自分の信じている物語に影響を受けることは確かなのだが、その影響を受けていること自体を学ぶために、過去の伝記、神話、伝承を紐解いていくしかない。

つまり、結局は物語でしか理解できないという人間の可笑しさが、すごく微笑ましい。



ちなみに、この身体知に興味を抱き、弓道をはじめた。

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