学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。 朋有り、遠方より来たる、亦楽しからずや。 人知らずしていきどおらず、亦君子ならずや。
学んだことはいつでも時間さえあれば復習する。
理解できた時には、なんと嬉しいことではないか。
同じ志を持つ友人が遠方からやってきて語り合える。
なんと楽しいことではないか。
誰も自分の実力を理解してくれないくても、不平不満に思わない。
それこそ立派な君子ではないか。
(「実践・論語塾」安岡定子著)
これは、論語の冒頭だ。
志を抱くことの喜びを3つ示している気がする。
志を抱いているからこそ、学びことは楽しく、時間を惜しんで学び、理解できたときの喜びはなんともいえない。
志を抱いているからこそ、同志ができ、語り合える。
同志であれば、距離や時間に関係なく、常に意識し合える仲であり、合えば一瞬で距離が縮まり、いつまでも語り合える。
志を抱いているからこそ、世間の評価、他人の目は気にしなくなる。周りがどうかではなく、自分がどうなりたいか、だからだ。
ぼくの人生を振り返ると、大学時代のアイスホッケー部の仲間と過ごした時間は、まさにそうだった。
同じ志を抱き、学び、語り合う。
そういった体験は誰もができるはずだ。まず志を抱く。
それがはじまりなのだろう。
そうすれば、この章句がもっと深く理解できるように思える。
ど真ん中を生きる仲間と語り合う時間を増やしていきたい。
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