之を知る者は、之を好む者に如かず。 之を好む者は、之を楽しむ者に如かず。
あることを知っているだけの人は、それを好きになった人には及ばない。
それを好きになった人も、それを楽しむ人には及ばない。
(「実践・論語塾」安岡定子著)
知って、好きになって、楽しむ。
こう並べられて言葉にしてもらうと、確かにそうだと感じることができる。
しかし、これが日常だとやはり揺らぐ。
あることを好きな人より知識が豊かな人を一番に評価しようとしたり、
楽しんでいる人を評価できなかったり…。
人間とはそういうものなのだろう。
だからこそ、生涯学びなのだろう。
知識だけある人
知識があり、それが好きな人
知識があり、好きになり、楽しめている人
この楽しめるという境地まで行けることは、すばらしいことだ。
好き嫌いという感情の先、理屈を超える。
でもまだまだ社会の中では、この「好き」「楽しむ」という価値が評価されにくい状態であるように思う。
仕事をおもいっきり楽しんでいると、変に思われる可能性さえあるのではないか。
「好きを仕事にする」
という言葉はよく聞くが、
「楽しむことを仕事にする」
という言葉までは、まだまだ聞かない。
でもこの章句では、好きになった人も、それを楽しむ人には及ばないといわれている。
楽しんだもの勝ちなのだ。
世の中は、まだまだそこまでたどりついてないということなのかー。
以前、ど真ん中名刺ワークショップで最初に聞く質問を
「あなたにとってノリノリなことは何ですか?」
という内容にしたことがある。
しかし、なかなかこの質問にいい答えを得ることができず、いまは違う質問に変更してしまった。
本当は、思っている以上に大切な問いだったのではないだろうか。
あなたは何が楽しいのか?
ノリノリなのか?
ぼくにとってノリノリは、ど真ん中名刺のワークショップをしているときだ。
ノリノリすぎて、常に時間オーバーする。
「ノリノリを仕事にする」
この言葉は、流行るのか?
好きと、ノリノリの間を隔てるものは何なのだろう?
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