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変容と愛

  • 執筆者の写真: yamashina shigeru
    yamashina shigeru
  • 4月10日
  • 読了時間: 2分

真理の話をしよう(6)


mari.art.philosophia. の米倉真理さんとのど真ん中名刺づくり。


哲学カフェ・哲学対話

心理学に基づく数秘セッション

アート・執筆などの表現活動 を行う。


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前回まで、名刺に掲載予定の写真について、お互いのとらえ方の相違を対話していた。


心の表層部分から深層部分に向かう軸

自分と他者との社会的関係性から個人的関係性に向かう軸

この二軸のどの交差点から写真を評価するかで、意見が分かれる。


この食い違いを、フラットで対話できることのすばらしさと難しさを体感していました。



さて、今回。


(米倉)

写真から追ってても結論がでないと思うので、言葉で芯を捉えてから写真を選びたい。


(山科)

であれば、屋号の「Mari.Art.Philosophia」。

「真理」と「アート」と「哲学」になるのではないか。



(米倉)

それをさらに説明したいと思っている。

そこで考えた文章がこれ。


さまざまな対話の場づくりや表現活動を通して、自己・他者への理解と寛容さを深め、よりよい社会への変容を目指す拠点


「やっていることは何ですか」

と問われたときに、理念(なんのために)と手段(どのように)があると思っていて、どちらも伝えたい。



なぜ対話の場をつくりたいのか。

なぜ表現活動をしているのか。


相手を相互理解しあうことは、私にとっての愛なんです。

あなたのことを分かりたい。

そして関わりあうことで「変容」が生まれる。



本音を伝え合うことで、新しい見方が生まれる。

すると、もっと自分の内面に潜っていくことができる。

人と関わることで、変容が生まれることが喜びでもある。


だから、あなたと話がしたいし、あなたのことを知りたい。



対話というのは、見えている状態での交わり方。

表現というのは、相手が見えない場合があるけど、それでも私のことを知ってもらいたいと思って表現すること。


愛なんです。



(山科)

テーマをもとに戻すと、本当の自分を表現している写真はどれなんだろうか。


自分だけで撮影した写真なのか。

他者が介在して撮影しているときの写真なのか。

撮影したときの内面が大切なのか。

時間軸なのか。


動画では、まさに二人の意見の相違から変容しようとする営みをご覧いただけます。

うまく根っこでつながれないもどかしさが、なんとも愛おしい。




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