当下一念
- yamashina shigeru
- 17 時間前
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朝活大学素読会
大學の道は、明徳を明らかにするに在り。
民に親しむに在り。
至善に止まるに在り。
止まるを知りて后定まる有り。
定まりて后能く靜かなり。
静かにして后能く安し。
安くして后能く慮る。
慮りて后能く得。
物に本末有り。
事に終始有り。
先後する所を知れば、則ち道に近し。
今回は、この後半の箇所について。
物に本末有り。事に終始有り。先後する所を知れば、則ち道に近し。
物事には必ず本と末、終わりと始まりがある。
そこで常に何を先にし、何を後にすべきかを知って行動すれば、人の道に大きく外れることはない。
すごくわかりやすい箇所だからこそ、これまであまり深く考えてこなかった。
「優先順位を誤るな」
「目的と手段を取り違えるな」
そんな意味でとらえていた。
でも、実は違うんじゃないか。
「時間」という概念が、邪魔しているのではないか。
物に本末有り。
物 → being
本 → 根本・目的
末 → 枝葉・手段
事に終始有り。
事 → doing
終 → 結果・締めくくり
始 → 出発点
ここから、もう一歩踏み込むと
本 → いのちの源・ほんとうの自分
末 → 評価 ・仮面をかぶった自分
始 → はじまりの瞬間
終 → 終わりの瞬間
「よし!はじめよう」と決断した瞬間は、何かが終わる瞬間であり、「これでおしまい」と終わりの瞬間は、次のはじめりの瞬間でもある。
つまり、「いま」という瞬間は、はじまりであり、おわりなのだ。
今という瞬間の内側に、「本」も「末」も「始」も「終」も同時に含まれる。
「Being」と「Doing」、「目的」と「手段」が、分かれていない状態。
解説の本に、この言葉が紹介されていた。
当下一念
「当下」とは、いまこの瞬間のことだ。
過去でも未来でもなく、 いまこの瞬間に在り続ける、という意味だ。
当下一念、その一点に立ったとき、 本を忘れず、末に振り回されなくなる。
思考や感情と同一化しなくなる。
そうなれば、先後を迷うこともなくなる。
生まれながらにもっている「本・徳性」。
その「本」を常に忘れずに生きる。
むしろ、忘れていると自分が思い込んでいる状態をやめようと、いうことかもしれない。
まとめると。
「正しい順序を踏めば道に近づく」 ではなく、 「本の一点に立ったとき、 何を先にすべきかが自然に分かり、 その状態がすでに道である」
時間の流れ・段階・成長ではなく、 今その瞬間の在り方そのものが“道”。
そんなふうに読むことができそうだ。




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