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当下一念

朝活大学素読会


大學の道は、明徳を明らかにするに在り。

民に親しむに在り。

至善に止まるに在り。


止まるを知りて后定まる有り。

定まりて后能く靜かなり。

静かにして后能く安し。

安くして后能く慮る。

慮りて后能く得。


物に本末有り。

事に終始有り。

先後する所を知れば、則ち道に近し。



今回は、この後半の箇所について。


物に本末有り。事に終始有り。先後する所を知れば、則ち道に近し。

物事には必ず本と末、終わりと始まりがある。

そこで常に何を先にし、何を後にすべきかを知って行動すれば、人の道に大きく外れることはない。



すごくわかりやすい箇所だからこそ、これまであまり深く考えてこなかった。


「優先順位を誤るな」

「目的と手段を取り違えるな」


そんな意味でとらえていた。

でも、実は違うんじゃないか。

「時間」という概念が、邪魔しているのではないか。



物に本末有り。

物 → being

本 → 根本・目的

末 → 枝葉・手段


事に終始有り。

事 → doing

終 → 結果・締めくくり

始 → 出発点


ここから、もう一歩踏み込むと


本 → いのちの源・ほんとうの自分

末 → 評価 ・仮面をかぶった自分


始 → はじまりの瞬間

終 → 終わりの瞬間


「よし!はじめよう」と決断した瞬間は、何かが終わる瞬間であり、「これでおしまい」と終わりの瞬間は、次のはじめりの瞬間でもある。

つまり、「いま」という瞬間は、はじまりであり、おわりなのだ。


今という瞬間の内側に、「本」も「末」も「始」も「終」も同時に含まれる。

「Being」と「Doing」、「目的」と「手段」が、分かれていない状態。



解説の本に、この言葉が紹介されていた。


当下一念



「当下」とは、いまこの瞬間のことだ。

過去でも未来でもなく、 いまこの瞬間に在り続ける、という意味だ。


当下一念、その一点に立ったとき、 本を忘れず、末に振り回されなくなる。

思考や感情と同一化しなくなる。

そうなれば、先後を迷うこともなくなる。


生まれながらにもっている「本・徳性」。

その「本」を常に忘れずに生きる。

むしろ、忘れていると自分が思い込んでいる状態をやめようと、いうことかもしれない。



まとめると。


「正しい順序を踏めば道に近づく」 ではなく、 「本の一点に立ったとき、 何を先にすべきかが自然に分かり、 その状態がすでに道である」

時間の流れ・段階・成長ではなく、 今その瞬間の在り方そのものが“道”。


そんなふうに読むことができそうだ。


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