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心を正す

執筆者の写真: yamashina shigeruyamashina shigeru

更新日:2024年10月3日

朝活大学素読会

いつもの時間


所謂身を修むるには、其の心を正しうするに在りとは、

身忿懥する所有れば、則ち其の正しきを得ず。

恐懼する所有れば、則ち其の正しきを得ず。

好樂する所有れば、則ち其の正しきを得ず。

憂患する所有れば、則ち其の正しきを得ず。

心焉に在らざれば、視て見えず、聽きて聞えず、食いて其の味を知らず。

此を身を修むるには、其の心を正しうするに在りと謂う。


「身を修めるには、まず心を正すにあり」とは一体どういうことなのか。

たとえば、怒りで身が震えているようなときは、正しい判断はできない。

恐れを抱いている時も、正しい判断はできない。

何かに片寄って好んでいる時も、正しい判断はできない。

心配ごとで頭がいっぱいのときも、正しい判断はできない。


心がここになければ、見えるはずのものも見えないし、聞こえるはずのものも聞こえない。

真実を視ることができないし、いのちの声も聞こえないということだ。

そんな状態では、何を食べても味は分からない。


だからこそ、身を修めるには、まず心を正さなければならない。



心は、常に自分の肉体の中にある。

普段はそう思っているが、実は心は未来へ過去へと飛び立ってしまう。


「身を修める」の身とは、肉体+心の状態のこと。

肉体と心を一致させていく。


「イマココ」という言葉はよく使われる。

しかし、「今」を大切にすることはよく語られるが、「ココ」を語られることは、実は少ないように思う。


「ココ」には2つの視点があるのではないか。

この肉体がある場所。

富山にあるのか、大阪にあるのか、車の中にあるのか、自宅の部屋なのか。

この肉体が存在している場所を正しく肯定できているかどうか。


もうひとつは、肉体と心がひとつになっているかどうか。


ぼくらは生きている以上、肉体をもっている。

この肉体があるということと、肉体と心が同じ場所にあるかどうか。


これも大切なことなんだと思う。


肉体から得ることができるセンサーと、心で感じるセンサー。

この2つのセンサーにちゃんと耳を傾けることができれば、正しい判断はできるはず。

センサーが見せてくれているのが、「良心」「良知」。


自分の中にある「良心」「良知」に気づくこと。

ここから始まる。

 
 
 

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