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本を書く

第5講 一つの目標


本を書くということ。

これはこの10年間に何度か思い考えたことだ。

しかし、実現したかと言えば、できていない。


ど真ん中名刺デザインブックは、これまで3冊完成させた。

今年中に新しいデザインブックを完成させる予定もある。

また、修身を学ぶ会で書き記した文章をまとめて一冊の本にもした。

とはいえ、それは本と呼べるようなものではない気がする。


今、自分が書き残すことができる本はあるのだろうか。

自分の立場だから書ける本とは。


「どうしたら本が書けるだろうか」

ということを頭の中でシミュレーションしてみた。


本を残すという意味を考えた時、強い志があるかどうか、その志が本物であるのなら、それを命を超えてもバトンを渡したいという想いがあるか。

これが、本を書くということなのではないか。


その覚悟と同時に、その志があることで、日々の実践がどれほどできているかどうか。

この実践ができていなければ、本が書けないということに気づいた。


つまり、ひとつの目標として「本を書く」と決めるということは、未来の託すべき志が明確にあるということ、そして、そのための実践を常に心がけているということ。

これができているかどうか。この実践を積み上げていく人生を歩んでいるか。

 

結局、ここを問われていることに気づいた。




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