無賃飲食
- yamashina shigeru
- 10月22日
- 読了時間: 6分
マネーバイアス
ピーター・カーニック 著
11番目の嘘
国の健康状態はGDPなどで正確に測ることができる
ここは、お金の尺度が人間の幸せの尺度にすり替わっているという深い問題を突いている。
GDPが高くても、人々が幸せとは限らない。
GDPとは、「一定期間内に国内で生み出されたモノやサービスの総額」をお金で表したもの。
なぜ嘘なのか。
これは実例を挙げればわかりやすい。
戦争や災害で復興需要が高まる → GDPは上がる
過労やストレスで医療費が増える → GDPは上がる
森林を伐採して資源を売る → GDPは上がる
子育てや介護など → GDPで測定不能
無償の愛の労働 → GDPで測定不能
友人との支え合いや地域の助け合い → GDPで測定不能
自然の恵み、環境の豊かさ → GDPで測定不能
そもそも経済活動とは何か。
一般的な定義では、「人々が欲望を満たそうと、有限である資源を用いて財やサービスを生産し、市場取引で分配され、消費する活動」。
もっとざっくりというなら「お金を介して欲しいものをやりとりする活動」となる。
この定義を「経済活動とは、生命が生命を支え合いながら、必要なものを循環させる営み」と言い換えることも可能なはずだ。
ほとんどの自然界にある命は、お金や経済システムとは関係がなくても育まれていきます。(p133)
この言葉が、すごく印象的だ。
養蜂をしていると、すごく実感する。
ミツバチたちは、養蜂家がお世話せずとも、自然界の中で生き、蜂蜜を集め、世代交代をしながら命を繋いでいく。
今回の箇所でふと気づいたエピソードを紹介したい。
①大阪の朝ランニング
大阪にいるときは、妻と朝ランをする。
淀川沿いを走ると、毎朝同じ時間にランニングや散歩、運動を習慣にしている人たちに出会う。
長唄を歌いながら歩く老夫婦
ごみ拾いをするおじさん
シルバーカーを押しながら歩くおばあちゃん
本気で練習に取り組むランナー
顔ぶれはいつも同じだ。
「あの人は最近見ないな」と名前も知らない方のことが気になる。
ごみ拾いのおじさんは、5年ほど前は、あまり表情もなく、寡黙にごみを拾うだけだったが、少しずつ表情が柔和になり、今ではおじさんの周りには人が集まるようになった。
この変化は、実は妻も一役買っている。
妻は、毎朝おじさんとすれ違うたびに「おはようございます」と声をかけ、「今日はいい天気ですね」とか、会話をする。
約5年間、ランニングで会うときは必ずだ。
きっと、その影響もあり、おじさんは、いつもニコニコした表情であいさつを返してくれるようになった。
毎朝出会う、名前の知らないランナーたちからは、今日も頑張ろうとエネルギーをいただける。
一番すごいのは、自然だ。
大都会にこれほどの自然があることに驚かされる。
今の季節は、虫の声が本当に心地いい。
ちょうど5時過ぎから朝ランを始めると、朝日が昇り始め、空がいろんな色に変化する様を体感できる。
早朝の雲の変化もすばらしい。
とても贅沢な朝だ。
途中に巨木がある。
その巨木に挨拶をすることも妻の習慣になっている。
この朝ランでいただけるパワー、常連の50人ほどのランナーたちで生み出している支え合っている関係性は、GDPでは計算されない。
②はちみつうか
はちみつうかは、お金を介さず、物々交換でお渡ししている。
蜂蜜自体が通貨だからだ。
朝の音読会でご一緒しているかおりんから、カフェの1周年記念として利用したいので、はちみつうか50本ほしいと依頼があった。
断る理由はない。
さすがに在庫がなく、25本準備することになった。
お金の本質とは何か。
その意味を考えるきっかけになった。
25本のはちみつうかと同時に、そのカフェ専用のラベルもデザインし印刷してお送りした。
京都にあるカフェへ行くと、大、大、大おもてなしされた。
待ってましたとばかりに、手作りコロッケがどんどん揚げられる。
目の前にどんどん並んでいく。
抹茶と和菓子がでてくる。
はちみつうかのお礼として出張割烹を手掛ける方のお弁当を家族分頂けることになってるのだけど、その料理人をカフェに呼んでいただき、一緒にコロッケを食べる。
カフェで働くゆうやくんも隣に座って、一緒に食べる。
そうこうしていると、学校帰りの子供たちが、ぞろぞろとカフェに入ってくる。
借りてる漫画を返しにきたり、飴玉をもらったり、単にかおりんとあいさつするだけだったり。
帰り際に、かおりんから、お土産として阿闍梨餅をいただく。
なぜ阿闍梨餅が好物だと知っていたのだろうか!
恩送り
恩巡り
地域の子供たちを大切に見守りたいと強く思う。
ニコニコして家族が待つ家に向かう。
家に帰って気づく。
コーヒー代払ってないことを…。
またお店に顔をだすことになる。
いまここにある幸せは、GDPには計算されない。
③チラシ制作の依頼
4人の子どもを育てているママからチラシ制作の依頼があった。
「みんなから子育て大変でしょって言われるのだけど、実はそうでもなく、地域のおじいちゃんおばあちゃんがいろいろ手伝ってくれるのです」
「自分がいただいた恩を返したいと思って、妊娠中のママや小さい子がいるママの家のお片付けを無料でしてあげるサービスをしようと思って」
そのサービスを告知するチラシの制作依頼だ。
彼女はもともとお片付けが得意で、いろいろ学んでいる。
職場もお掃除をお手伝いする仕事をしている。
自分の得意な分野で仕事をし、得意な分野で社会に貢献しようとしている。
ぼくはひとつだけアドバイスをした。
「職場の社長に説明したほうがいいかも」と。
同時に、
「これは、あなたが思っている数十倍も大切な問いを社会に投げかけることだよ、きっと」と。
社長の視点で考えると。
利益をだすために提供している有料サービスがある。
スタッフから、「このサービスは大好きだし、個人的に恩返しもしたいので、会社とは別で無料でやりたい」と相談される。
もし社長が自分の仕事が大好きなら、そんなスタッフの相談はすごくうれしいことだろう。
しかし同時に、組織の運営、別のスタッフへの理解、お客様の視点を考えると、ちょっと悩むポイントなんだと思う。
ふつうは個人的にはOKだけど、組織的にはNOなんじゃないか。
その方の職場の社長は、快くOKしてくれたそうだ。
これは結構すごいことだと思うし、そういった気持ちの社員が増えること、それを世に問うこと。
想像以上に大事なことだと思えた。
まさに、ど真ん中を生きる生き方だ。
彼女が社長に大切な問いを投げかけたこと。
有料のはずのサービスを無料(月に1回程度)で提供すること。
短期で見ると、GDPは下がるのかもしれないが、幸せは増える。
長期的には、実際はGDPは増えるのかもしれない。
国の健康状態はGDPでは測れない。

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