愛の受け取り方
- yamashina shigeru
- 2 日前
- 読了時間: 4分
マネーバイアス
ピーター・カーニック 著
14番目の嘘
お金持ちは豊かだ
まずは、13番目の嘘の振り返りから。
欲深い人に対してこそ、愛とともに手渡すのです。
この言葉を、少し噛み砕いて考えてみたい。
もし、お金を稼ぐ原動力となっている「欲深さ」が、実は 愛の欠乏 から生まれているのだとしたら。
そして、その欲深さの力によって、結果的にお金持ちになることができたとしたら。
普通に考えれば、「欲深いお金持ちにお金を渡すくらいなら、貧しい人に渡したほうがいい」と思うかもしれない。
しかし本書では、むしろ逆の可能性が示唆されている。
欲深さの根にある「愛の欠乏」を、「愛 × お金」 というかたちで満たすことができたなら、結果的にそのほうが、社会全体は豊かになるのではないか。
そんな、少し刺激的な提案がなされていた。
今回の 14番目の嘘 も、この流れと深くつながっている。
「真に豊かな人は、お金があろうとなかろうと豊かである」 「貧しい人は、お金があろうとなかろうと貧しい」 これが真実なら、「お金持ちが貧しい人に、お金をただ分け与えればよい」という考えは嘘になります。 富の再分配という行為に意味がなくなるからです。(p156)
ここで言う「豊かな人」「貧しい人」とは、お金の量の話ではなく、心の在り様、心の豊かさ を指しているのだろう。
正しく理解できているかは分からないが、自分なりに整理してみる。
心は貧しく、お金は豊かな人の場合:
この人にとって、自分のお金が分配されることは、ネガティブな感情をさらに助長し、欲深さを強める結果になるかもしれない。
また、いくら分配されたとしても、受け取る側の心が貧しいままであれば、結局、何も変わらない。
なぜなら、「貧しい人は、お金があろうとなかろうと貧しい」からだ。
心も豊かで、お金も豊かな人の場合:
この人は、お金があろうとなかろうと豊かであり、お金を分配すること自体が喜びであり、心の豊かさが減ることはない。
しかし、受け取る側が心の貧しい人であれば、やはり大きな変化は起きにくい。
そう考えていくと、
「心は貧しく、お金は豊かな人」を、お金を通して癒すことのほうが、社会的なインパクトは大きいのではないか。
では、そもそも「富の再分配」はなぜ必要なのか。
資本主義は、放っておくと富が偏る構造 を内蔵している。
これは道徳の問題ではなく、あくまで構造的な問題だ。
働いて得る所得よりも、持っている資本が生む所得のほうが増えやすい。
この構造をそのままにしておくと、格差は拡大し、本当に困っている人を助けることができなくなる。
ただし、「富の再分配は、人を助けるためにある」と単純には言えない。
再分配は、「優しさ」や「正義」だけのために存在しているのではない。
理由①|市場が成立しなくなる
多くの人が貧しすぎると、消費が抑えられ、市場そのものが縮小する。
理由②|社会的コストが爆発する
犯罪、病気、治安悪化などが増え、後からより大きなコストとして跳ね返ってくる。
理由③|機会の平等を最低限守る
教育・医療・インフラへの再分配は、競争そのものを成立させる土台である。
つまり、資本主義における再分配の本質は、豊かさを実現するための理想論ではなく、資本主義が壊れないための安全装置 だと言える。
なるほど。
こう捉えると、「富の再分配」は、豊かな人が貧しい人を守るためというより、自分たちのシステムを守るための仕組みとも言える。
ここでいう「自分たち」とは、資本家や経営者のことかもしれない。
では、「みんなが経営者になればいいのか」と言えば、それも違うように思う。
そこには、やはり 心が置き去り になっている。
だからといって、この課題を政府やシステムだけに委ねるのも違う。
では、どうするのか。
純粋な寛容の精神に基づいてお金を手渡すと、ときには受け取った人の内側にも存在していた豊かさや寛容さに火を灯します。 その結果、ダイナミックなお金の循環と分配がおのずと生まれます。(p157)
鍵は、自分たちの内側 にある。
特に「おのずから」という言葉が、とても重要に感じられる。
もし、愛とは「すべてはひとつである」と気づくこと だとするなら、お金そのものも、本来は愛にとても近い存在であり、愛に気づくための、もっともスマートなツールなのかもしれない。
あなたのお金を、どう受け取るか。
わたしのお金を、どう手渡すか。
言い換えれば、
あなたの愛を、どう受け取るか。
わたしの愛を、どう手渡すか。
ここに、きちんと向き合っていくことが大切なのかもしれない。
個人としても。
会社として決済システム、販売方法を考えるとしても。


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