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世界よ、応答せよ。

マネーバイアス

ピーター・カーニック 著


16番目の嘘

やりたいことのために働いて稼ごう



この言葉の前提には、こういう分断があります。


いまの仕事 = 本当はやりたくない

やりたいこと = いつか、別の場所にある

お金 = それを実現するための手段


つまり、「いま」と「本当」を切り離している。


この嘘に乗ると、人生はこうなりやすい。


今は我慢

まずは稼ぐ

余裕ができたら

そのうち本当にやりたいことを

……でも、「そのうち」はなかなか来ません。


さらに困ったことに「やりたいこと」すら嘘の可能性があります。


やりたいこと=自己証明

やりたいこと=逃避先


すると、ますます「今」が犠牲になります。


つまり、今回の嘘とは、今と未来を分けない、という提案です。



ところで、なぜ多くの言語で「お金=報い」なのか


貨幣が生まれる前、人は


狩る

作る

守る

癒す


といった行為を通じて共同体に貢献していました。

その「役に立った」「助かった」という感覚が、具体的な形で返ってくるものが必要になった。


それが


穀物

金属

後に貨幣


つまりお金は、「ありがとう」を保存可能にしたものだった。

重要なのは、「お金=ありがとう」とは「価値」ではなく「応答」


多くの言語で、お金は“報い”と呼ばれている。

それは、お金が価値そのものではなく、価値ある行為への“応答”だった記憶が、言葉に残っているからです。



では、「応答(報い)が返ってくる行為」とは何か。


行為によって価値が生まれ、

その価値に対して世界が応答する。

この「応答」が、お金だとする。


前回、私たちは「自由」について考えた。


自由とは、まず「本当の自分」として立つこと。

本当の自分とは、恐れや欠乏に反応していない在り方である。


恐れに反応しなくなったとき、人は初めて自由になる。


自由とは、何でもできる状態ではない。

自由とは、反応せずに選べる状態だ。


この自由という在り方から、人は行為を選択することができる。

それが、本当に「選んでいる」状態である。


では、その選択された行為とは何か。

それは、世界に対して自分として応答すること


この「応答する力」こそが、責任である。

責任(responsibility)の語源は、response(応答)+ ability(能力)。


つまり責任とは、状況に対して自分として応答できる力のことだ。



本当の自分に立つことで、行為は「反応」ではなく「選択」になる。


選択された行為は、世界に価値を生み出す。

そしてその価値に対して、世界が応答する。

その一つの形が、お金である。


お金とは、自由な在り方から生まれた行為に対する、世界からの「応答」なのだ。

在り方 → 自由 → 選択 → 行為 → 価値 → 応答(お金)



なぜ自由から選択された行為が「価値」を生むのか。


まずは「反応の行為」と「選択の行為」の違いをみていく。


「反応の行為」とは


怖いからやる

失うのが嫌だからやる

認められたいからやる

足りないから埋めにいく


これはすべて、出発点が「内側の欠乏」です。

この行為が生むのは、


一時的な安心

条件付きの評価

すぐ消える満足


つまり、価値が世界に残らない。

なぜなら、世界ではなく「自分の不安」に向いているからです。



「選択の行為」とは


得をしなくても、そう在りたい

評価がなくても、差し出したい


ここでは出発点が恐れではなく、在り方にあります。



「価値」とは、


効率

利益

成果

ではありません。


価値とは、世界が「応答したくなる何か」



人は、

本音から語られた言葉

恐れを超えて差し出された行為

立場ではなく存在から出た関わり

に出会うと、無意識に応答したくなります

これが「価値が生まれる」という現象です。



選択された行為には、共通点があります。

それは、行為の中に「自由」が含まれていること。


操作していない

奪おうとしていない

条件をつけていない


だから世界は、


「これは取引ではない」

「搾取でもない」

「反応でもない」


と感じ、自然に応答を返す。

これが、価値です。


だから、本当の自分に立つことで、行為は「反応」ではなく「選択」になる。

選択された行為は、世界に価値を生み出す。



ここまでの流れをまとめると。


本当の自分に立つことで、

行為は「反応」ではなく「選択」になる。


反応とは、恐れや欠乏に突き動かされること。

失う不安、認められたい欲求、足りなさへの焦り。

そこから生まれる行為は、世界に向かっているようで、実は自分の内側に閉じている。


一方、選択とは、恐れに駆られてではなく、「そう在りたい」という在り方から決めること。


本当の自分に立つとは、恐れや欠乏に反応しなくてよい場所に立つこと。

このとき人は初めて自由であり、行動は衝動ではなく、選択になる。


選択された行為には、自由が含まれている。

奪おうとしない自由。

操作しない自由。

見返りを条件にしない自由。


だからこそ、その行為は相手の自由をも尊重し、世界に対して開かれている。


世界は、恐れには防御で応じるが、自由には応答する。


こうして、選択された行為は世界とのあいだに関係を生み出す。

この関係の中で初めて、価値が立ち上がる。


価値とは、効率でも成果でもない。

世界が「応答したくなる何か」。


この応答こそが、お金であり、循環である。



上記文章は、ぼくの質問にAIが答えるカタチで生成された文章です。

ここでまたひとつ疑問がわきます。


お金が応答のひとつとして捉えるのなら…。

お金には2つの側面がありそうだ。

単純に等価交換のツールとしてのお金と、全く別の意味としてのお金。


応答のひとつとしてのお金という視点で考えると、その時点でお金は交換のためのものではないことになる。

そこにあるのは、お金を渡す側の「心の余白」

私は満たされている、だからこそ余剰としてのお金を渡したい」という気持ち。


等価交換としてのお金は、

  • 物 ⇄ 物

  • 労働 ⇄ 賃金

  • サービス ⇄ 料金

という完結した取引です。

そこに残るのは「清算」と「終了」。


一方、お金を「ありがとう」の気持ちに応答したものととらえるなら。

これは市場的には説明しづらいけれど、人間的にはとても自然的だ。


  • 感動した

  • 大切に扱われた

  • 自分が尊重された

  • 何かを思い出させてもらった

こうした体験に対して、人は何かを返したくなる。


この「返したくなる衝動」こそが、お金の最も原初的な姿なのかもしれない。

これはチップにすごく似ている。


でもなぜ日本にはチッブ文化が成り立たないのか


ここもすごく面白いテーマだ。


非言語な価値に重きをおく。

言葉(数字、金額)にしてしまうと、粋ではなくなる。

「在り方」への圧倒的な信頼

「縁」を留めない。


ここを深堀していくと、さらにおもしろいことになりそうだ。


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