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「お金」から「存在」へ

マネーバイアス

ピーター・カーニック 著


10番目の嘘

お金は、ゴールド(金)などによって価値を裏付けられている


全力でAI様の言葉を借用させていただきます。



金本位制の時代では、「金庫にある金(ゴールド)」の量しか、お金を発行できません。

なのでお金は、ちゃんとゴールドなどによって価値を裏付けられていた。


しかし、人類が国家・国民という概念を生み出し、国家間の戦争が行われるようになると、政府は「兵器を作る」「インフラを整備する」「雇用を増やす」などで、大量のお金を市場に流す必要が発生した。


ところが、金本位制ではゴールドがなければお金を刷れない → 政府の活動に制限がかかる。

戦後も、復興・開発・経済を拡大するたびに金の不足にぶつかる。

そこで出てきたのが「信用」に基づく新しい仕組みだ。



アメリカは、ベトナム戦争での莫大な出費、世界経済の拡大によるドル需要の増大などにより、金の保有量を超えるドルが流通するようになった。

「約束しただけの金」がもう存在しない。

これを隠せなくなり、1971年にニクソン大統領が金との交換を停止(ニクソンショック)する。


それ以降、世界の通貨は「金の量」ではなく「信用・期待・経済活動」そのものが価値を支えるようになった。


つまり、戦争や経済成長を続けるため、人間の欲・エゴを満たすため、「金に縛られない通貨」が必要だった。

その結果、「モノ(金)に裏付けられたお金」から、「信頼(信用)に裏付けられたお金」へと変化した。


このシステム全体は「虚構」によって成り立っており、人々はお金の物語の共同幻想の中で経済活動を営んでいるともいえる。




「現行の金融システム全体の欠陥は、単にお金を自由に創造できる人々だけの責任ではない。大多数の私たち自身の責任でもある。これまで無自覚だったとしても」(122p,123p)

 

「お金を自由に創造できる人々」とは?


主に民間銀行や中央銀行 を指します。

銀行は「信用創造」という仕組みを使って、預金の数倍のお金を貸し出すことで、“新しいお金”を生み出しています。

しかし、この構造が問題を生むのは、銀行だけの責任ではない。



「大多数の私たち自身」とは?


お金という仕組みを信じ、使い、依存してきた市民全体を意味します。


「お金がないと生きられない」と信じてきた

「お金を持っている人が偉い」と思い込んできた

「お金の流れや仕組みを学ばず、考えずに任せてきた」


こうした“無自覚な信仰”によって、お金のシステムが今の形に固定され、不均衡や格差が温存されてきたということ。



「これまで無自覚だったとしても」


ここには、責めではなく、目覚めへの呼びかけが込められている。

これまで仕組みに無関心・無自覚だったとしても、これから“創造の側”に立つことができる

お金の価値も、社会の仕組みも、私たちの認識と行動によって変えられる。


これまで私たちは、「舞台の観客」としてお金の物語を見ていたけれど、本当は自分たちが脚本家であり、俳優でもある。

そのことに気づくことが、「責任を取り戻す」=「自由を取り戻す」というメッセージなのかもしれない。



 

「お金を創造する側もそれを信じて使う側も、相互に強化しあう嘘が連鎖している構造全体を考える必要がある。」(124p)


ここで言われているのは、お金の仕組みそのものが“お互いの思い込み”によって支え合っているということ。


「お金を作る側」と「お金を使う側」

この両者が無意識に信じ合っている“幻想”が、今の経済を成立させている。



〈創造する側の嘘〉


銀行や政府は、「お金に実体がある」「信用さえあれば無限に生み出せる」と信じている。

それを支えるのが、次のような思考です。


「経済成長は永遠に続く」

「お金を増やすことが豊かさだ」

「市場の効率が人々を幸せにする」


彼らは、こうした「経済神話」に基づいて行動している。



〈使う側の嘘〉


私たちはこう信じています。


「お金があれば安心」

「お金がなければ価値がない」

「お金を稼ぐことが生きる目的」


創造する側が生み出した“お金の物語”を、私たちが信じ、内面化している。

内面化しているとは、自分とお金の物語を同一化している状態



「相互に強化しあう構造」とは


創造する側(銀行・政府)は、人々がその価値を信じている限り、お金を発行し続けられる。

使う側(私たち)は、発行されたお金に依存し、価値を見出す。

すると、お互いが相手の信念によって自分の信念を強化するというループが生まれる。


銀行:「人々はお金を信じているから、もっと発行できる」

人々:「銀行が発行しているから、これは本物だ」


こうして、「お金」という“概念上の存在”が、まるで絶対的な実在のように機能してしまう。



構造全体を考えるとは?


誰かを悪者にしても、この構造は変わらない。

銀行を責めても、私たちが“お金の幻想”を信じ続ける限り、何も変わらない。

私たちが目覚めても、銀行が“信用”を道具にし続けるなら、やはり変わらない。


だからこそ、必要なのは「構造全体を見る視点」。

「創造する」「信じる」「使う」

この全てを同時に見つめ、新しい“価値の循環”をデザインしていくことが大切になる。

自分たちは、「主体者」であり、「当事者」であり、「盟友」でもある。

この3つの次元の視点を同時に見るということだろう。


比喩で言うなら、お金というのは巨大な鏡のホールのようなもの。

私たちは鏡の中の像(価値・富・地位)を本物だと思い込み、互いの姿を見て「やっぱり本物なんだ」と安心している。

でも、よく見ると、鏡の外には、ただの空間(信頼)が広がっている。


「構造全体を見る」とは、鏡を割ることではなく、鏡を鏡として見る視点を取り戻すこと。



 

「この構造全体を理解することで、「金融を再定義」しようとしている改革者が閉じこもっている狭い領域を超えて広がり始める」(124p)


「改革者が閉じこもっている狭い領域」とは


ここでいう「改革者」とは、現在の金融システムに疑問をもち、より良く変えようとしている人々のこと。


たとえば、

地域通貨や暗号資産などを通じて「新しいお金」を作ろうとする人たち

公正な金融、ソーシャルファイナンスを進める人たち

「資本主義をアップデートする」と提唱する思想家や起業家たち



「閉じこもっている」とはどういう意味か?


これらの改革者は一見、社会を変えようとしているようでいて、実はまだ“お金という前提”の中に閉じ込められている、という指摘です。


彼らはこう考えがちです。

「より良いお金の仕組みをつくれば、世界は良くなる」


しかし、その考え自体が、すでに「お金が中心にある世界観」に依存しています。

つまり、「お金を変えること」ではなく、「お金という枠組みそのものを超えること」が本当の変容なのです。



狭い領域とは?


「金融的な発想にとどまっている領域」

言い換えれば、意識のレベルがまだ“取引”や“交換”の次元にある領域です。


たとえば

お金を「より分配の公平なツール」にしようとする

お金を「より便利で、透明性の高い仕組み」にしようとする

お金を「より多くの人が稼げるように」しようとする


これらは確かに大切な改革ですが、いずれも“お金が中心にある世界”を前提にしている。

著者が言いたいのは、「それすらも“お金の物語”の一部にすぎない」ということ。



広がり始めるとは?


構造全体を理解したとき、お金は“世界を動かす原理”ではなく、人間の意識が生み出した一時的な記号だとわかります。


すると、金融を「再定義」することの意味が変わります。


経済活動をどう再設計するか、ではなく

「価値とは何か」

「豊かさとは何か」

を再発見することへと広がる。


この視点に立つと、お金をなくそうとするのでも、増やそうとするのでもなく、お金の向こうにある“生命の循環”を思い出すことが目的になる。


「お金」から「存在」への転換を促す哲学的な呼びかけだともいえる。


Joy of Being

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