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種子まき

修身を学ぶ会富山

第26講 二種の苦労人





第25講「最善観」のときに、書ききれなかったことがある。

僕自身が、世の中は「最善観」、つまり、わが身の上に起こる事柄は、絶対必然であり、最善であるという感覚を素直に受け入れられているのは、両親の影響が大きいのだと思う。

 

子どもの身の上に、どう頑張っても必然という言葉をつかえないような事柄が起こらないように、細心の注意と愛を注いでくれていたことを感じる。

 

実は、それが、すごく嫌だった時期もある。

もっと冒険的で刺激的な世界を見せてほしいという心もあった。

今はすごく感謝している。


この「育ち」の力が、最善観な世界を受け入れる基礎になっているのは確かだ。



この両親の影響こそ、「種子まき」になっており、種を撒いてくれたおかげで、自分の身の上に起こる逆境を学びとして捉えることができているのだと思う。


今回の「二種の苦労人」の内容を簡単にまとめると、人は苦労した結果、2種の人に分かれるのだと。

ひとつは、苦労したため冷たい人間になる、ひとつは、苦労したため同情心ある温かい人間になる。

その分かれ目は、反省できるかどうか

ただ反省できるかどうかの別れ道は、平素、真の教えを聞いているかどうか、「種子まき」があったかどうかだと。



話を戻すと、自分が物心つく前から、きっと両親による自分への種子まきがあったのだろう。


少し残念だなと思うのは、どんな種を撒いてくれていたのか、具体的な「言葉」を思い出せないということだ。

もしかすると、言葉以外の方法だったのかもしれない。

祈っている姿、働いている姿。

姿なら、鮮明に記憶がある。



ふと思い出したのは、母とのこんなエピソードだ。


「あなたは、私のお腹の中にいる時に神様とおままごとしていた特別の子なのよ」


母がよくぼくに語ってくれていた言葉だ。

何回も、何回も、聞かされた記憶がある。


母が、「お腹の中で何をしていたの?」とぼくに質問したときに、そんなふうにこたえたらしい。全く記憶がないのだが。



今振り返ると、この母の言葉こそ、自分は特別な存在なのかもしれないと、思い込むことができたキッカケになったことは確かだ。


たわいもない小さな子供の嘘のような言葉を真剣に聞き、それを何度も伝えてくれたこと。

それが、自分の中で大きな種子になった。

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