修身を学ぶ会富山
第20講 老木の木
「老木の美」と聞いて思い浮かぶのは2つ。
大阪の淀川沿いの老木
父母の姿
淀川の老木は三階建ての建物を超えるぐらいの高さがあり、毎朝のランニングコースの途中にある。
すごく大切にされていることは分かり、年に数回、木の下で煙を炊いている。害虫駆除をしているのかもしれない。
妻は、必ずランニングでその木を通り過ぎるときに、祈りを捧げている。
それもあってか、老木に気品を感じる。
両親は79歳と80歳になる。
まだまだ二人とも現役であり、父は会社の社長としていまも毎日働いている。母は華道の先生として弟子に生け花を教えている。
休日は、音楽を聴きにいくなど、精一杯楽しめることをしようというモチベーションがある。
毎朝、会社で父に「おはよう」と声をかけると、必ず「おはようございます」と返事が返ってくる。
この、「おはようございます」という言葉と父の声に、老木の美を感じる。
「老木」だけだと、何かリタイアした後の静けさというか佇まいを感じるが、「老木の美」のように「美」という言葉があるだけで、全く違う趣が生まれる。
「美」には、機能だったり役割、能力というイメージがあり、さらにそれだけに留まらず、その機能や役割を追求して得たかけがえのない価値のような存在を感じることができる。
美は、探究し続けることで得られることなのかもしれない。
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