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自己反省

修身を学ぶ会富山

第11講 長所と短所


今回のテーマは、内面の長所と短所、そして外面の長所と短所に、私たちはどのように向き合うことが大切なのか、というものだった。


長所をどう伸ばすのか。

短所をどう受け止めるのか。

一見、よくある問いのようでいて、しかし掘り下げていくと、とても根の深いテーマである。


まず、内面――精神面の成長について考えたとき、単純に「長所を伸ばす」「短所を克服する」という話では済まない。

内面を伸ばすためには、「自己反省」という通路を通る必要がある。


けれども、この「自己反省」という言葉は、実はとても難しいことだ。


そもそも私たちは、自己反省をする“用意”ができているのだろうか。

そして、反省すべき何かに“気づく”ことができているのだろうか。

そこが、最初の大きな問いになる。


今回のテーマに即していないかもしれないが、よくこう言われる。

「大きな困難を乗り越えた人は、内面が大きく成長する」と。


確かに、苦しみや葛藤を通った人の言葉には、どこか深みがある。

では逆に、大きな困難のない人生は、人を成長させないのだろうか。


そんな問いが浮かぶ。

しかし、それは違うと感じている。


困難の大きさそのものが成長を決めるのではない。

むしろ、困難に向き合う中で、あるいは日常の些細な出来事の中で、自分の内側にある何かに「気づく」ことこそが、本質なのではないだろうか。



今、自分が大切だと思っているのは、「自己反省」に至る前段階にあるものだ。

反省という行為のさらに奥。

もっと深く、もっと根源的なところに、“種”のようなものがあるのではないか。


その種に、どうやって気づくのか。

ここが、とても重要な気がしている。


けれども、この“種”は、心の奥へ奥へと潜っていけばいくほど、無意識の領域に入っていく。

そうなると、自分一人ではどうしたって気づけない。


自分では見えていないものがある。

自分では分かっていない癖がある。

自分では気づいていない反応がある。

だからこそ、他者の存在が必要になる。

他者との対話が、どうしても必要になる。



弓道の練習だと、それがよく分かる。


上達しようとすればするほど、他者からの客観的なアドバイスがなければ、自分の身体の変化に気づくことはほとんど不可能だと痛感する。

自分では、まっすぐ立っているつもりでいる。

しかし実際には、わずかに歪んでいる。

自分では、前回とまったく同じ射形をしているつもりでいる。

しかし実際には、大きく異なっている。


長い年月をかけて身についた癖がある。

無意識の反応がある。

身体は正直に、それを表している。

けれども、それは自分では見えない。

一人では、決して気づけない。



話を戻そう。


自己反省すべきことの、さらに奥にある「因」となる種。

その存在に気づくための対話とは、いったいどんな対話だろうか。


お互いが、本当のこころの声に耳を澄ませる。

その声を、まず自分自身が信じる。

そして、その声を携えて相手と向き合う。

そんな対話ではないだろうか。


そのような場があってこそ、種に光が当たる瞬間が生まれるのかもしれない。



そう考えていくと、ひとつ意外な道筋が見えてきた。


内面の成長には、「自己反省」を超えていく力が必要だ。

それは、ある種の勇気であり、覚悟だ。


一方で、外面の成長は、内面に比べると少しシンプルだ。


外面とは、行動や能力、目に見える側面である。

そこではまず、明らかな長所を伸ばすことが大切になる。


できることを磨く。

得意なことに集中する。

人から評価される部分を、さらに高めていく。

これは、分かりやすい成長の形だ。


そして、外面の長所を本気で伸ばしていくと、必ず他者との関係が深まっていく。

その中で、必ずぶつかる。

自分の限界に。

自分の未熟さに。

自分の内面の課題に。


つまり、外面を磨くことが、結果として内面の課題を照らし出すことになるのではないか。



自ら無理に「反省しよう」としなくても、真剣に長所を伸ばしていけば、自然と内面の種に出会う瞬間が訪れるはずだ。


ただ、外面の長所を伸ばすことに、思い切って全振りできる時期があるのではないか。

失敗しても立ち上がれる。

体力も気力もある。

多少無茶をしても、未来が広がっている。

それはきっと、20代や30代の特権なのかもしれない。


その時期に、外面を思い切り磨く。

その結果として他者と深く関わり、そこで初めて、自分の内面の種と出会う。


50代を超えた自分にとって、そういった20代30代の特権を支えることも大事なことのように思う。



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