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親子の敬

2020年2月17日
読了時間: 2分

更新日:2020年2月17日

敬とは何か?

これまでの人生で、そこに疑問をもったり、そのような問いを考えたことすらなかった。


敬とは、自分より優れたもの一切を受け入れてこれを吸収し、その一切を奪い取って超えていこうとする強力な生命力である。

敬には、そういった意味がある。

敬とは何かを考えた時に、最初の入り口付近で頭に浮かぶイメージとはまるっきり正反対な意味だ。


一切を奪い取ってやる。

強力な生命力

そんなイメージは何も思い浮かばなかった。

むしろ逆のイメージだ。

 


大学のアイスホッケー部のコーチ時代に後輩がぼくを慕ってくれ、

「もっとうまくなりたい」と教えを請うてきた時。

確かに数名の後輩からは、表面的な敬ではなく、ぼくからすべてを奪いたいという欲望を感じることができた。


その敬に対し、半分恐れを感じながらも、そうやって向かってきてくれる心意気に心地よさを感じた記憶がある。

 

そして、ついには、なんとかして自分の知る限りの全てを伝えたい、自分を超えていってほしいと願うようになる。

そうなったとき、教える立場の人間は、自分の至らなさを痛感し始める。

だからこそ、自分よりも知識がある人、経験豊富な人から、多くの情報を集め、その情報を自分を敬してくれてる後輩に伝えなければならないと本気になる。


ここに大いなる成長と学びがあったのは確かだ。

 

敬とは、人間の成長に大切なことであり、チームや組織にとって大切なことなのだ。


家族、特に親子関係の中にも、敬と礼は大事なのだろう。


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