top of page

親子の敬

  • 執筆者の写真: yamashina shigeru
    yamashina shigeru
  • 2020年2月16日
  • 読了時間: 2分

更新日:2020年2月17日

敬とは何か?

これまでの人生で、そこに疑問をもったり、そのような問いを考えたことすらなかった。


敬とは、自分より優れたもの一切を受け入れてこれを吸収し、その一切を奪い取って超えていこうとする強力な生命力である。

敬には、そういった意味がある。

敬とは何かを考えた時に、最初の入り口付近で頭に浮かぶイメージとはまるっきり正反対な意味だ。


一切を奪い取ってやる。

強力な生命力

そんなイメージは何も思い浮かばなかった。

むしろ逆のイメージだ。

 


大学のアイスホッケー部のコーチ時代に後輩がぼくを慕ってくれ、

「もっとうまくなりたい」と教えを請うてきた時。

確かに数名の後輩からは、表面的な敬ではなく、ぼくからすべてを奪いたいという欲望を感じることができた。


その敬に対し、半分恐れを感じながらも、そうやって向かってきてくれる心意気に心地よさを感じた記憶がある。

 

そして、ついには、なんとかして自分の知る限りの全てを伝えたい、自分を超えていってほしいと願うようになる。

そうなったとき、教える立場の人間は、自分の至らなさを痛感し始める。

だからこそ、自分よりも知識がある人、経験豊富な人から、多くの情報を集め、その情報を自分を敬してくれてる後輩に伝えなければならないと本気になる。


ここに大いなる成長と学びがあったのは確かだ。

 

敬とは、人間の成長に大切なことであり、チームや組織にとって大切なことなのだ。


家族、特に親子関係の中にも、敬と礼は大事なのだろう。


最新記事

すべて表示
不滅の火は、誰のものか

修身を学ぶ会富山 第3講 古人に学ぶ 森先生の言葉に触れると、自然に心が熱くなる。 われわれがこの二度とない人生を、真に徹底して生き抜こうとすると、何よりもまず古人に学ぶ処がなければならない。 偉人とは、永い生涯を、真に生命がけで徹底的に生き抜いた人々だ。...

 
 
 
言葉の奥にある重みにたどり着く。

修身を学ぶ会富山 第7講 大志を抱け 「立派な先生になる」など、ていのよい逃げ言葉だ。 今回は、この言葉に心が動いた。 便利な道具が目の前にあると、どうしてもそれに頼ってしまうものだ。 そのひとつに、AIがある。 言葉にできそうで、できないこと。...

 
 
 
意図せず世代を超える

修身を学ぶ会富山 修身教授禄続 第2講 立志 「死後に生きる」というテーマに対して、すごく共感していた時期があるのだが、一度躊躇した時がある。 「人生二度なしという覚悟で生きているが、死後に何かを残す生き方は選びたくない」 そんな声を聴いた時だ。...

 
 
 

Комментарии


bottom of page