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逆境と誠

  • 執筆者の写真: yamashina shigeru
    yamashina shigeru
  • 2020年12月9日
  • 読了時間: 2分

年末になると仕事の量も増え、それに合わせてミスも増えてくる。

ミスはなぜ起こるのかを考えると、

「誠」という一文字が浮かび上がってくる。


その仕事に、いかほどに誠を尽くしたか。

誠を尽くすべきだと頭で理解していても、実際に実践しようとすると時に、多くの誘惑が訪れる。

「対価に見合う妥協点はどこか」

「納期は大丈夫か」

「この仕事に意味はあるのか」

または、

「仕事で褒められたい」

など。


誠を尽くす、没頭すること。

自分の仕事に対して、そういう態度でありつづけることが、幸せなことなのかもしれない。


また新しい気づきがあった。

多くの経営者が語る

「ピンチはチャンス」

という言葉の意味だ。


大きな危機や逆境こそ、なぜか大きなチャンスになるのはなぜか。

今回の「誠」のテーマと重ね合わせて考えることができた。

つまり、逆境が大きければ大きいほど、多くの邪念をふり払い、その問題を解決するために没頭せざるをえなくなるはずだ。


この場合、致し方がないという局面だとしても、目の前の課題に対して、ただ、ひたすら誠の心で没頭するというゾーンに入ることができる。

すると、不思議なことに自然と道が開けるという現象が起きるのだ。

 

これは、40年近く人生を歩んできた方であれば、1度や2度経験しているのではないか。

ピンチがチャンスに変わる瞬間を。

あの出来事があったからこそ、今の自分がある、と思えることを。

つまり、それこそ真実なのかもしれない。


「ピンチはチャンス」となり道が開けるという、この言葉の本当の力は、我を捨て誠に尽くすということなのではないか。


しかし、そこは人間。

その道が開けた理由を深く考えず、開けてしまえば、安堵し、その過程のことを忘れてしまう。


実は、その逆境で得た真実の道を、平時でも実践できるかどうか。

ここにこそ、学びがあるのではないか。


平時に、自らの義務に誠を尽くせるかどうか。


ここだ。


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