ニュー・アース
エックハルト・トール 著
エゴの縮小
(息子の作品)
自分に死ぬ。
子育て中の親が、子どもに言ってもらいたくない言葉ナンバーワン(たぶん)
「死ね」
親に対して、自分自身に対して、何かに対して使う言葉。
なんとなく、この最も嫌う言葉が、尊い言葉に感じられてしまうとは、不思議なものだ。
それ以外の気づきは2つ。
とくにひとかどの人間になろうとか目立とうと思わないでいれば、あなたは宇宙の力と自分を調和させることができる。エゴにとって弱点に見えるものは、実は唯一の真の力なのだ。
この言葉に、すごく似ている言葉は「修身教授録」で学んだ。
第36講 誠
に書かれてある。
真実の道は、一体いかにして興るものでしょうか。それには、「自分が道をひらくのだ」というような一切の野心やはからいが消え去って、このわが身わが心の一切を、現在自分が当面しているつとめに向かって捧げ切る「誠」によってのみ、開かれるのであります。
すごく逆説的なテーマだ。
道をひらこう、ひらこうと思っている間は、ひらくことができず、野心が消え一心に没頭している状態で初めてひらく。
つまり、過去から未来へと水平に流れる時間ではなく、垂直軸の時間に踏み入れた時だ。
過去もなくなり、未来もなくなり、イマココの状態で、人生の深さに向き合った時に、道は開かれる。
もうひとつの気付き。
エゴを縮小する実践の方法として、誰もが意見を言い合っているときに、自分は意見を述べるのを控えていて、それで何を感じるかを観察することも含まれるだろう。
論語にはこんな章句がある
「剛毅木訥 仁に近し」
志とそれをやり遂げるための強い意志をもちながらも、飾り気なく、素朴で口下手な人物。
そういった人物のほうが、「仁(思いやりの心)」をもつ、本物の人だ。
この言葉は、人前に立つことに抵抗感がなく、コミュニケーション能力が高く、常にリーダーシップを発揮できる人間からすると、日々の実践への戒めとして捉えることができる。
しかし、「静かな人」。
一見、友達の輪、クラスの中、組織の中で、静かに人の話を聞いている人がいる。
ぼくらの社会はそういった「静かな人」をうまく評価する基準がない。
しかし、そういった方の心の中では、深い思考と実践を繰り返している人なのではないか。
ぼくは、静かな人の心の成長に耳を澄ますことができる人間になれるだろうか。
Comments