魂の配慮
- yamashina shigeru
 - 8 時間前
 - 読了時間: 2分
 
不完全に善く生きる(4)
シニア×学生でハッピーな社会を「あなろまっち」のメンバーでもある朽木くんとのど真ん中名刺づくり。
今回からデザインに入ります。
▼あなろまっち
「あなろまっち」とは、シニアと学生がありのままの姿で交流することが出来るイベントを開催しております。
シニアと学生が「持ちつ持たれつ」の関係を実現するために日々、大学の垣根を越えた運営メンバーで次回イベントへの作戦会議を行っております。
名刺の表面に載せる言葉を決める
名刺の表面に載せたい言葉は、
「善く生きる」
これは座右の問いでもある。
ソクラテスの言葉
「良く」ではなく、「善く」。
「善」の漢字は、哲学的漢字であり、好みでもある。
「善の研究」西田幾多郎
こんな言葉がある。
(ど真ん中名刺のホームページでも紹介している)
以下、動画ではここまで語っていません。
竹は竹
松は松と
各自その天賦を充分に発揮するように
人間が人間の天性自然を発揮するのが
人間の善である
竹はどんなに鍛錬しても松にはなれない
むしろ、なる必要がない。
竹は竹になることが善であり
松は松となることが善である
人も同様。
すでにある自分の天賦を発揮して生きる。
そこに善がある。
そして、お互いが善を生きる組織。
それが「エンパワーメント」された組織のように思う。
ソクラテスの「善く生きる」を調べると「魂の配慮」という言葉が紹介されている。
魂の配慮には3つのステージがあるのではないか。
ひとつめは、身体の健康を維持するために運動や食事に気を付けるのと同様、魂も曇らないように心がけること。
修養を心がけること
曇らないようにするということは、新たなものを加えるということではない。
ふたつめは、配慮というか配分。
他者の魂と、どれほど繋がれるか。
魂同士を結びつけていく配慮。
三つめは、ひとつめと、ふたつめがあることで生まれる「いのちの声」に耳を傾けること。
善く生きるための道に巡り合うこと。
「善く生きる」ための準備はできたとしても、実際に「善く生きよう」と道を歩もうとすると、巡り合いが大事なんじゃないか。
「慮」という漢字には、「深く考え、思い巡らし、物事の本質を正しく会得する」という意味もある。
単に、相手のことを考えるということにとどまらず、考え、行動し、つながる、という一連の流れをひとつの言葉で表現している。
そう考えていくと、「善く生きる」という言葉に、ぐっと深みを感じる。
つづく。

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