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  • 執筆者の写真yamashina shigeru

biotopとproxemics

郷学って何?

21年の5月に出逢った言葉。 8年か9年ほどお世話になっている親子論語塾の先生のセミナーがあり、そのセミナーで語っていただいたのが「郷学」だった。


郷学は、もともとは先生の祖父の思想だ。


軽印刷の役割とは何かを考えると、そのひとつが暗黙知の図書館という機能。

まだ言語化できてない人の想いや願いをカタチにしていく。

そしてマスに届けるというよりも、必要な人にバトンを渡していくことが軽印刷の仕事だ。

なので、ご縁のある人と深くかかわり、そこで生まれたご縁を次の人に届ける。

そういった暗黙知の図書館のような役目が軽印刷にはあると思っている。


この暗黙知の図書館をもう一歩広い視点に立つと、「郷学」の考えが凄く共感できた。


先日参加させてもらった論語塾で頂いた冊子「郷学」最新号。 ここに、すごく素敵なコラムが書かれてありました。


少し意訳して紹介すると、


「青年はどうして自己を大成するか」(安岡正篤)


日本では夫人のことを「奥さん」という。 奥さんとは「奥の部屋」という意味だ。 ここは主人も子どももあまり侵害することのできない聖域だ。


旦那さんの部屋は「書斎」という。 斎とはサンクチュアリ、聖域だ。


主人が書斎をもち、女房が奥をもち、そこで初めて一家が成り立つ。 時々茶の間で皆が交歓する。 これがあって初めて家庭だ。

そういう家庭が、庭をもち、畑をもち、それが「ビオトープ(biotop)」となる。 このbiotopが近隣、隣保(proxemics)を作っている。 この時に、日本の国民は落ち着いて床しい文化をつくっていた。


なぜ明治維新ができたのか。 藩というbiotopが300近くあり、藩と藩とがproxemicsを保って日本を作っていた。 このbiotopとproxemicsのおかげで、大変動な状態で明治維新が成立した。

これがもし、全体国家であったらできなかっただろう。


このbiotopとproxemics。 人間は自主的に自分の身体、精神の中にbiotopとproxemicsが要る もう一度立ち返って、新しく精神的なbiotopとproxemicsを作らなければならない。



という文だ。

まだ深く理解できていないが、すごく重要なことだと思う。 この文章自体が、青年が大成するために書かれた言葉だというのも考え深い。


biotop…多様な生き物が安定して生活できる生息空間。忙しい中の遊び、余白、楽。

proxemics…自己と他者との間の距離に基づく空間にある文化や感覚の違い。義、仁。

 

心の中に、いろんなものを安心して受け入れることのできる余白を作ること。この余白を作ることで、自己と他者との関係も生まれてくる。その関係性の距離感をどう捉えるか。

この余白と距離感両方が大事なんだと。

さらに、心の中ばかりではなく身体感覚としてもこの2つが大事だと語られている。

ここも注目すべき点だと思う。

 

 

話が長くなってしまったが、そもそも郷学って何?

原文に近い状態でそのまま紹介する。

学問には知識をひろめ、事物の理法を究めるということと、己を修める「修養の学」がある。(学問には二通りあるということだ)


修養の学とは、第一に人生如何なることが起きても、湛然(たんぜん)と対処できるように「人間の学」を修めること。

第二は、地方郷党の先賢を顕彰し、その風土に培われている学問を振興して、志気を振起すること。(第二が郷学になるのだろう)


歴史を紐解くと、民心が頽廃したときに、これを救ってきたものは中央の頽廃文化の影響を受けず純潔な生活を保っている地方郷村の志士の力であった。 この道理はいつの世であっても変わりがない。


かかる意味から常に郷党の先賢の事蹟を探り、その人物学問によってそれぞれの郷里に確乎たる信念と教養を持つ人材を養成することが「郷学」の目的と言えます。

 

 

ど真ん中名刺を通じて、その人物から学んでいくことは、郷学にすごく近い。

また郷学とは修養の学の一つだと捉えると、学を志す誰にとっても大切なテーマであるということ。

 

自分の仕事の中に、郷学に力を投資している分野はあるだろうか。

この実践がすごく重要だと思えた。

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