top of page

The Power of NOW

更新日:2024年12月16日

アニメ「ハンター×ハンター キメラアント編」が、想像の数倍を超えた面白さでした。

不思議なもので、ニューアースの音読会が終わり、新たに始まった「The Power of NOW」の音読会。

 

ハンター×ハンターと、「The Power of NOW」の内容が、いつの間にか繋がってしまったのです。

なんのこっちゃって話だと思うのだけど、ハンター×ハンターのネタバレとなる内容も紹介しつつ、残したい。

ちなみに、ハンター×ハンターの内容は正確ではなく、ぼくの自己認識と記憶で紹介します。



 

キメラアントとは、蟻なのだが、自分が食べた生き物の特性を吸収し、次世代に伝えていく蟻なのだ。

その蟻が、ついに人間を食べ、さらには、ハンター特有の念能力を扱えるほどのオーラをまとった人間も食べるようになる。

そのことで、人間の姿に似た知性と能力が高い蟻が誕生することになる。

 

どんどんキメラアントが人間を食べながら数を拡大していく。知性と能力も上がっていく。

その中で、キメラアントは人間だけの特殊な習慣があることに気づく。


ひとりひとり、名前がある」ということだ。

 

それに不思議な魅力と興味を抱いた兵隊蟻は、女王蟻に、人間のような名前を使ってもいいか相談する。女王蟻は、構わないと許可を与える。


名を与える。


これが大きな変化を生む。

ひとりひとりの兵隊蟻が、個性を発揮し始める。

そのことで、欲やエゴをも持つようになり、それは強さにもなるが、集団をひとつにすることが難しくなってくる。


そんな中、ついに次世代の「王」を女王蟻が生むのだ。

女王蟻の役目は、王を生み、新しい世代・新しい世界をつくっていくこと。


女王蟻は、人間を、特に、残忍でエゴとペインボディにまみれた数多の人間を食することで、強大な力と残忍性を備えた「王」が誕生させてしまう。

しかも誕生と同時に、自らの母(女王蟻)をも死に追いやり、誰もがひれ伏すオーラを備えている。

 

王の力と残忍性は、人間のエゴの集合体とも言える。エゴが濃縮され継承されていったのだから。

この戦いは、人間のエゴと人間の戦いなのだ。



さて、王は暇つぶしに「軍儀」という将棋に似たゲームを人間のチャンピオンと戦う。

王は、どんなゲームもルールを覚え、数局打つだけで、人間のチャンピオンを上回ってしまう知性を兼ね備えている。

王が勝ってしまえば、「くだらない」と、人間のチャンピオンを殺す。

 

「軍儀」の人間のチャンピオンは、盲目で鼻をたらし、ボロボロの服を着ている少女。

その少女に、王は勝てないのだ。何度も何度も挑むのだが、王は勝てない。


勝てない理由は、少女の死を受け入れている覚悟と平常心。


徐々に、王はその少女に興味を抱き始める。

王にとって人間は虫けらのような存在。


たとえば、ぼくらも庭のアリを観察して、一匹一匹に個性があるというところまで興味を抱くだろうか。それすら、ままならないはずだ。

たとえ、もし個性のある蟻に興味を抱いたとして、それに愛着や特別な感情を生むだろうか。それも否だろう。

 

そんな虫けら同然の人間に、王は勝てない。


ふいに、王は少女に名を聞く。

すると少女が、すごく大きな質問をするのだ。


「こんな私に興味を抱いてくれてありがとうございます。私の名前はコムギです」

「もしよろしければ、王様のお名前をお教えください

と。


その瞬間、王は止まる。

私の名前はなんだ?私は誰なんだ?」と。

 


王には、本当は名前がある。

しかし、生まれるとき、母親の腹を強引に割って生まれたことで、名前を知らされる前に母親が死んだのだ。


自分がいったい誰なのかわからない。

「恐れ」に近い感情。

それは「痛み」となる。


高い知性とプライドの持ち主が、この「痛み」と向き合うことで、徐々に変化が生まれてくるのだ。

 

 

キメラアントは、食した生き物の特性や性格をも次世代に伝えていく。

人間がもつ特別な感情も。ということだ。

 

少女との「軍儀」との無心状態での戦いで、人間との闘いで肉体の極限状態で、、。

王は、人間が持ちうる感情よりさらに奥深い場所にある「愛」「喜び」「平和」の意識が芽生え始めるのだ

 


自分の名に出逢い、愛と喜びと平和の意識に目覚めたと同時に、人間のエゴがつくり出した究極の兵器によって、王は死ぬ。



別軸では、アニメの主人公が、「the power of now」を表現した描写が続く。

ただ在る状態の力、そこには怒りと憎悪も存在するのだが、いまに在る力に、敵も味方も、何もできない。

この描写もほんと素晴らしかった。

 

いやあ、こんなんで伝わるのかな。

最新記事

すべて表示
推譲とペイフォワード

土曜日の朝は、1週間の振り返りの音読会になる。 その中で「ペイフォワード」の話があり、ふと、二宮尊徳の「推譲」のことを思い出した。 ■ 推譲とは何か ― 自譲と他譲、そして循環という視点 まず、尊徳のいう「推譲」には、二つの側面がある。 ひとつは「自譲(じじょう)」、 もうひとつは「他譲(たじょう)」である。 自譲とは、自分の欲を抑え、生活の上限(分度)を守ることで、 未来のために備えをつくること

 
 
 
プペル

映画『えんとつ町のプペル 約束の時計台』 本『人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である』 この2つを重ねながら、プペルについて勝手気ままに語ってみたい。 我が家は、前作のプペルがとてもよかったので、妻と次女と末っ子が先に鑑賞した。 末っ子は、いろんな場面で泣いていたらしい。 問題は妻である。 妻はとても繊細で、たとえばポケモンやドラえもんですら大泣きするタイプだ。 その妻が、末っ子が大泣きした

 
 
 
バケツの穴

人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である 樋口耕太郎 著 毎朝5時からの音読会で読んでいる本。 今朝のテーマはここ。 「バケツの穴」 ここでは、資本主義経済の姿が、バケツとその中の水にたとえて、わかりやすく表現されている。 労働者が働いているバケツ。 そこでは、付加価値を生み出すことでお金(水)が増えていく。 そのバケツの真下には、さらに大きな「金融市場」というバケツがある。 そのバケツにいる

 
 
 

コメント


bottom of page