アニメ「ハンター×ハンター キメラアント編」が、想像の数倍を超えた面白さでした。
不思議なもので、ニューアースの音読会が終わり、新たに始まった「The Power of NOW」の音読会。
ハンター×ハンターと、「The Power of NOW」の内容が、いつの間にか繋がってしまったのです。
なんのこっちゃって話だと思うのだけど、ハンター×ハンターのネタバレとなる内容も紹介しつつ、残したい。
ちなみに、ハンター×ハンターの内容は正確ではなく、ぼくの自己認識と記憶で紹介します。
キメラアントとは、蟻なのだが、自分が食べた生き物の特性を吸収し、次世代に伝えていく蟻なのだ。
その蟻が、ついに人間を食べ、さらには、ハンター特有の念能力を扱えるほどのオーラをまとった人間も食べるようになる。
そのことで、人間の姿に似た知性と能力が高い蟻が誕生することになる。
どんどんキメラアントが人間を食べながら数を拡大していく。知性と能力も上がっていく。
その中で、キメラアントは人間だけの特殊な習慣があることに気づく。
「ひとりひとり、名前がある」ということだ。
それに不思議な魅力と興味を抱いた兵隊蟻は、女王蟻に、人間のような名前を使ってもいいか相談する。女王蟻は、構わないと許可を与える。
名を与える。
これが大きな変化を生む。
ひとりひとりの兵隊蟻が、個性を発揮し始める。
そのことで、欲やエゴをも持つようになり、それは強さにもなるが、集団をひとつにすることが難しくなってくる。
そんな中、ついに次世代の「王」を女王蟻が生むのだ。
女王蟻の役目は、王を生み、新しい世代・新しい世界をつくっていくこと。
女王蟻は、人間を、特に、残忍でエゴとペインボディにまみれた数多の人間を食することで、強大な力と残忍性を備えた「王」が誕生させてしまう。
しかも誕生と同時に、自らの母(女王蟻)をも死に追いやり、誰もがひれ伏すオーラを備えている。
王の力と残忍性は、人間のエゴの集合体とも言える。エゴが濃縮され継承されていったのだから。
この戦いは、人間のエゴと人間の戦いなのだ。
さて、王は暇つぶしに「軍儀」という将棋に似たゲームを人間のチャンピオンと戦う。
王は、どんなゲームもルールを覚え、数局打つだけで、人間のチャンピオンを上回ってしまう知性を兼ね備えている。
王が勝ってしまえば、「くだらない」と、人間のチャンピオンを殺す。
「軍儀」の人間のチャンピオンは、盲目で鼻をたらし、ボロボロの服を着ている少女。
その少女に、王は勝てないのだ。何度も何度も挑むのだが、王は勝てない。
勝てない理由は、少女の死を受け入れている覚悟と平常心。
徐々に、王はその少女に興味を抱き始める。
王にとって人間は虫けらのような存在。
たとえば、ぼくらも庭のアリを観察して、一匹一匹に個性があるというところまで興味を抱くだろうか。それすら、ままならないはずだ。
たとえ、もし個性のある蟻に興味を抱いたとして、それに愛着や特別な感情を生むだろうか。それも否だろう。
そんな虫けら同然の人間に、王は勝てない。
ふいに、王は少女に名を聞く。
すると少女が、すごく大きな質問をするのだ。
「こんな私に興味を抱いてくれてありがとうございます。私の名前はコムギです」
「もしよろしければ、王様のお名前をお教えください」
と。
その瞬間、王は止まる。
「私の名前はなんだ?私は誰なんだ?」と。
王には、本当は名前がある。
しかし、生まれるとき、母親の腹を強引に割って生まれたことで、名前を知らされる前に母親が死んだのだ。
自分がいったい誰なのかわからない。
「恐れ」に近い感情。
それは「痛み」となる。
高い知性とプライドの持ち主が、この「痛み」と向き合うことで、徐々に変化が生まれてくるのだ。
キメラアントは、食した生き物の特性や性格をも次世代に伝えていく。
人間がもつ特別な感情も。ということだ。
少女との「軍儀」との無心状態での戦いで、人間との闘いで肉体の極限状態で、、。
王は、人間が持ちうる感情よりさらに奥深い場所にある「愛」「喜び」「平和」の意識が芽生え始めるのだ。
自分の名に出逢い、愛と喜びと平和の意識に目覚めたと同時に、人間のエゴがつくり出した究極の兵器によって、王は死ぬ。
別軸では、アニメの主人公が、「the power of now」を表現した描写が続く。
ただ在る状態の力、そこには怒りと憎悪も存在するのだが、いまに在る力に、敵も味方も、何もできない。
この描写もほんと素晴らしかった。
いやあ、こんなんで伝わるのかな。
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