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執筆者の写真yamashina shigeru

「いまに在る」力から逃避する

ニュー・アース

エックハルト・トール 著


子どものペインボディ




子どもが小さな怪物に変身する様。

これは、子育てを経験したことのある親であれば、誰もが日常的に遭遇する。


ここにも子どもが分ちもった人類の集団的ペインボディが関係している。


そして親のペインボディの影響も大きい。

いかに子どもたちの前では夫婦喧嘩をしないようにしていても、子どもにはすべてお見通しなのだ。


この「子どものペインボディ」について考えていくと、

自分が子どものときの両親との関係はどうだったのか。

自分の子どもとの関係はどうだったのか。

を振り返ることになる。



さて、今回の気づきは何なのかというと、「いまに在る」力を呼び覚ましているか、ということだ。


少し話が飛躍すると思うのだが、今回も自分自身のために書き記そうと思う。

なので、もし読んでいただいても意味が分からないのではないかと思う。



過去


あのとき子どもちとの関係はどうだったのだろうか。

ペインボディはどのように影響していたのだろうか。


分析するのではなく、違う道に行くことを許すことだ。

分析することは、ペインボディを分離するキッカケになるだろう。

しかし、分析とは過去のことであり、過去の出来事を再解釈しているに過ぎない。

過去から「今」に座標時期を戻さなければならない


今、何をするのか。




未来


全存在を通じて教えてくれるのは親だけ。

親子の関係の最も核心的部分はここなんだと思う。

そんな話を聞いていて、ふとイメージしたのは、両親が亡くなるときの場面だ。


父の葬儀の時に、自分は涙を流すのだろうか。

母の葬儀の時に、自分は涙を流すのだろうか。

どんな表情で、どんな趣きで、葬儀の場にいるのだろうか。


なんとなく、笑顔に近い表情で立ち振る舞っている自分の姿を想像できた。


なぜ笑顔なんだろう。

ペルソナとしての自分の表情なのか、ペインボディなのか、本来の自分なのか。

 

本来の自分が、穏やかな笑顔に近い表情になるのではないか。

そして、場違いの表情を隠さないといけないのだろうかと、なんかめんどくさい気分になっている自分を想像できた。


ほんと、よくわからない想像の世界だ。

「子どものペインボディ」のテーマを語っている中で、なぜに親の葬儀のイメージが浮かんでくるのかは分からない。

分からないが、確かに想像していた。


次の瞬間、また別のイメージが浮かんできた。

自分の葬儀のイメージだ。


自分が亡くなり、自分の葬儀に子どもたちが参列している姿だ。

果たして、子どもたちは笑っているだろうか。

どんな表情だろうか。


たぶん、大泣きしてそうだなって感じた。

 

なんで、こんなことをずっと想像してるんだろうか。

自分は笑顔になると思っているのに、子どもたちは、大泣きって、なんとも自分勝手な想像だ。



そんなイメージを頭の中で想い描いていたときに、ふと音読会に戻り、先生の言葉を聞いた。


大事なのは「今」にあるか。「いまに在る」力である。


分析をして納得する。

未来を創造して納得する。

 

あ、そうか。

自分は、「今」から逃げているのではないか。


「いまに在る」力で自分を満たそうとすることを避けようとする傾向がある。

 

それは、子どものころから本当は知っている。

知っているのだ。


誰もが驚くような分析で、課題の核心を発見する。

誰もが創造しないような未来を思い描き、課題を乗り越える。


これは、ぼくの中の力でもあるかもしれないが、「今」から逃れるために身につけた力なのかもしれない。

 

しかし、それだけではダメだということも本当は知っている。


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