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そこに愛はあるんか。

ひっさしぶりの親子論語塾


最初の書は「游」でした。



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子曰わく

道に志し

徳に拠り

仁に依り

芸に游ぶ


とても有名な章句にも使われています。



安岡先生がどういった文脈でこの話をしてくれたのかは、はっきりと覚えていないのだけど、子どもたちに向けて、こんな質問をしました。


「給食の時間に、グループで固まってご飯を食べます」

「そのときに、みんなで「いただきます」をせずに、先にご飯を食べ始めるお友達がいました」

「どんな気持ちになりますか」


悲しい気持ちになる。

嫌な気持ちになる。

寂しくなる。

怒りとか。


でも、どうしてそんな気持ちが沸き起こるのだろうか。


何を志すのか

何を徳だと思っているのか

仁とは、思いやりとは



安岡先生は質問の最後にこんな問いを投げかけてくれました。


「みんなでいただきますと言って食事をして食べ終わったら、みんなの器をサイズごとにまとめて、片づけたりできるんじゃないかな」

「でも、バラバラで食べ始めたとしたら、みんなの器を協力して片づけるだろうか」




安岡先生は「」の意味も説明してくれた。


普段みんなが使うのは「遊」のほう。

この漢字は、サンズイですね。(サンズイ=水)


水は、どんな形にも変化します。

丸い器に注げば、まるく。

四角い器に注げば、しかくに。

自在にカタチを変えることができるのが水であり、「游」です。


「芸」とは当時の必須教科。

社会にでたときに必要な最低限の教養のことです。



ちなみに、最近よく言葉を聞く「リベラルアーツ」とは、人間が束縛から解放されるための知識という意味もある。

まさに「芸に游ぶ」というニュアンスに近い。



こちらも余談になるが、

ほぼ日の糸井重里さんがある対談でこんな話をされていた。


愛について。

「愛がないとダメ」なんじゃなくて、それがないと成り立たないんだっていうもののことを「愛」っていうんですよ。 「そこには、なにかがないと!」って場所に、ぜんぶ「愛」を詰め込んでるんです。 「愛」っていうことばは、なにかをパッキングするとき隙間が開いちゃう場所につめるものなんだって思い当たったんです。

愛とは、大切なものを包む、隙間を埋める緩衝材なんだと。

なんか、そう考えると「游」は、愛にもなれんじゃないかと思えてきた。


そして、宇宙空間を埋め尽くす暗黒物質も、愛なんだろ。



さて、論語の意味は。


子曰わく

道に志し

徳に拠り

仁に依り

芸に游ぶ


大きいことでも、小さなささやかなことでもいい。

大切なのは自分が決めたことかどうか。

そんな志をいだき、

実践を通じて身体に身に付いた知を大事に、

思いやりの心を忘れないようにして、

教養を学び、自由の翼を得ていく。



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