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ほんと、どうでもいい話。

第32講 目下の人に対する心得


今回は正直、どうでもいい話になりそうだ。

目下の人に対する心得を読み、不思議なシチュエーションを思い出した。


それは、子どもと、子どもの学校の担任の先生と、三者で話す時だ。


子どもたちの担任の先生は、若い先生のことが多い。

というか、自分がそれなりにいい年齢に達しているから、どの先生も若く見えるだけかもしれない。

にしても、まだ新人の域を超えてないなっていう感じの先生と、ぼくと子ども3人で話をするシチュエーションだ。

 

本当は、どうでもいいはずなのに、無茶苦茶意識してしまう。

何を自分が意識しているかすらわからない感じで、意識している。


自分が傲慢だなってことも理解しているのだが、、、。

子どもにとったら先生なのだが、ぼくからすると、社会に出て新人の若者に見えたりもする。

なんか、そこにあるオカシサ、オモシロサに、引っ張られているのかもしれない。


いろいろ気を使いはじめて、結局まともな会話が成立しない。。

残念な感じになってしまう。


なんだろう。

 


他のシチュエーションでも同じようなことがあるかなと思い返すと、中学高校時代にあった。

 

同級生と会話するときだ。

全く先ほどと同じで、どうしたらいいかわからなくなる。


明らかな先輩だったり、後輩だったりすると、すごくスムーズに接することができるのに、同級生との話し方が分からない。

これは今も変わらないかもしれない。

 

そのときの感覚とめっちゃ似てる。



なんなんこれ。


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