top of page

ほんと、どうでもいい話。

第32講 目下の人に対する心得


今回は正直、どうでもいい話になりそうだ。

目下の人に対する心得を読み、不思議なシチュエーションを思い出した。


それは、子どもと、子どもの学校の担任の先生と、三者で話す時だ。


子どもたちの担任の先生は、若い先生のことが多い。

というか、自分がそれなりにいい年齢に達しているから、どの先生も若く見えるだけかもしれない。

にしても、まだ新人の域を超えてないなっていう感じの先生と、ぼくと子ども3人で話をするシチュエーションだ。

 

本当は、どうでもいいはずなのに、無茶苦茶意識してしまう。

何を自分が意識しているかすらわからない感じで、意識している。


自分が傲慢だなってことも理解しているのだが、、、。

子どもにとったら先生なのだが、ぼくからすると、社会に出て新人の若者に見えたりもする。

なんか、そこにあるオカシサ、オモシロサに、引っ張られているのかもしれない。


いろいろ気を使いはじめて、結局まともな会話が成立しない。。

残念な感じになってしまう。


なんだろう。

 


他のシチュエーションでも同じようなことがあるかなと思い返すと、中学高校時代にあった。

 

同級生と会話するときだ。

全く先ほどと同じで、どうしたらいいかわからなくなる。


明らかな先輩だったり、後輩だったりすると、すごくスムーズに接することができるのに、同級生との話し方が分からない。

これは今も変わらないかもしれない。

 

そのときの感覚とめっちゃ似てる。



なんなんこれ。


最新記事

すべて表示
自己反省

修身を学ぶ会富山 第11講 長所と短所 今回のテーマは、 内面の長所と短所 、そして 外面の長所と短所 に、私たちはどのように向き合うことが大切なのか、というものだった。 長所をどう伸ばすのか。 短所をどう受け止めるのか。 一見、よくある問いのようでいて、しかし掘り下げていくと、とても根の深いテーマである。 まず、内面――精神面の成長について考えたとき、単純に「長所を伸ばす」「短所を克服する」とい

 
 
 
発願

修身を学ぶ会富山 第9講 発願 「道の上では師に譲らず」 第9講の最初のところに、この言葉が紹介されていた。 この言葉にすごく似た有名な論語の章句がある。 仁に当たりては 師にも譲らず 自分の心にある「仁」。 思いやる心、相手を大切にしたい気持ち、大事にしたい気持ち。 自分が一生ついていこうとする尊敬する師がいるとして。 その師からのお願いだったとしても、自分の中にある「仁」に反することであれば、

 
 
 
希望の種を拾う

修身を学ぶ会富山 第7講 身代わり 小学校の低学年だったころ、同級生が雪の事故で亡くなるという出来事が起きた。 当時担任だった、いつもやさしい女性の先生は、事故後、まるで別人のように表情が硬くなり、少し冷たい空気を常にまとっているようになった。 その変貌ぶりがあまりにも印象的で強く記憶に残っている。 きっと、その時の担任の先生は、感じるの必要のない「責任」と、死を覚悟したのかもしれない。 数か月間

 
 
 

コメント


bottom of page