セミの脱皮
- yamashina shigeru
- 5 日前
- 読了時間: 2分
朝ランで外へ出ると、目の前の公園の柵に脱皮しようとしているセミを発見した。
セミは身体を震わせながら、少しずつ、少しずつ外へ出ようとしている。
身体を震わせ、少し休み、また身体を震わせる。
その連続だ。

今この瞬間、僕が脱皮中のセミに触れ、軽く刺激を与えれば「死ぬ」と理解した。
ところでみんな、文章を鉛筆やペンで書くことをしているだろうか。
「死ぬ」と書こうと思って、「ぬ」が書けなくなり、「死ね」「死む」としか書けなくなってしまった。
これは老いか。
それはさておき、「生」をみて「死」を連想してしまったからかもしれないが、セミが脱皮している姿を見て、二つのことが頭に浮かんだ。
一つは、どんなに変容するための準備を完璧にし、変容するための力と勇気があったとしても、いざその瞬間、環境がその変容をぶち壊すことができるということ。
神聖な瞬間だとしても、一瞬の好奇心で全てを無に帰すことは可能だ。
もし近くで子どもたちが遊んでいたとして、子どもたちに脱皮中のセミがいることを教えたとしたら、きっとよからぬことが起きるはずだ。
もう一つは、脱皮を成功させ成虫になることは喜ばしいことなのだろうが、実は「死へのカウントダウンの始まり」だということ。
僕らは、一般的にセミは大体1週間ぐらいの寿命だということを知っている。
つまり、この脱皮中のセミは、もし脱皮が成功したとしても1週間後には死んでいる。
目の前で起きている脱皮は、死に向かうための儀式なのかもしかもしれないなと。
この二つはこれまで考えもしなかったことなんだけど、なんだかおもしろい事実を発見したような気分になり、朝ランに出かけた。
それから朝ランの帰り道、家に近づくとあのセミのことが気になり始めた。
約1時間半くらいの朝ラン。
セミはすでに脱皮を成功させているだろうか。
それとも失敗しているだろうか。
公園の前まで来て、あのセミを探した。
セミは脱皮に成功し、なぜか元いた場所よりも下、地面スレスレのところで、じっと新しい身体が自分に馴染むのを待っているように佇んでいた。
そのときの感情を思い出すと、僕は残念に感じたんだ。
死んでいてほしかったのだ。
出発のときに浮かんだ二つの気づきを、本物にしたかったからだ。
生きている事実に、残念さを感じた。
「死んでたらよかったのに」と願っていた自分の感情に気づいても、とくに何か背徳感は何もない。



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