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無条件の愛

人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である

(樋口耕太郎 著『愛の天才』p.390 より)


この世に生を受けた人にとって、もっとも価値ある体験が無条件の愛を受けることだとするならば、子どもから親に注がれる愛ほどそれに近いものはない。特に誕生から3年間はもっとも純粋な時期だろう。多くの人にとって、これほどの愛の体験は一生涯でこれしかない。


人は誰でも愛の天才として生まれてきたということだ。

私たちはほぼ例外なく、最初の3年間で一生分の親孝行を終えてから人生を始める。



ここに書かれている内容が、ぼくの心に深く響いた。


子どもが生まれたとき、多くの父親が感動で涙を流すという話をよく耳にする。

しかし、ぼくにはそこまで劇的な感動の経験はなかった。

かといって愛おしくないわけでは決してなく、とても冷静に受け止めている自分がそこにいたのだ。


誤解を恐れずに言うならば、「ある程度は感動した素振りをしないと失礼なんじゃないか」と思い、少し大げさに感動した演技をしていたようにさえ思う。

そんな自分がすごく冷徹な人間のようにも思えるが、自分の気持ちに嘘をつくことができず、結局この感覚は妻に伝わり、感情のもつれの種になる。


ただ、それはわが子を愛していないからでは決してない。

むしろ、愛することがあまりにも「当然すぎる」感覚があるのだ。

だからこそ、わざわざ「感動」という分かりやすい態度に、恥ずかしさと少しの嫌悪感を感じてしまう。

他人が感動している分には、美しいなと純粋に思えるのだが。



今回の趣旨からは少しそれるが、この感覚は、仏壇に手を合わせる感覚によく似ている。

日常であろうが特別な日であろうが、ご先祖様や神様のような存在を敬い、手を合わす。

その行為が苦手なのだ。


「手を合わせる」という形式的な行為そのものに、どこか不自然な特別感や演技っぽさを感じてしまう。

だから、かえって手を合わせることがご先祖様たちに失礼になるような気がして、昔から手を合わせる行為自体を避けてきた。

避けることが、信仰だと。


なんだかすごく天邪鬼のようだし、自分が何にこだわっているのかうまく説明できないのだけれど……。

ただ、「子どもの誕生に分かりやすく感動できない自分」と、「仏壇にうまく手を合わせられない自分」は、きっと共通の原点からきているように思う。



そんなぼくが先ほどの文章を読んだとき、「自分がどう受け取るか」という視点は一切関係ない。

ただただ純粋に「子どもたちから最初の3年間、無条件に愛を注がれ続けていたんだ」という事実にハッとさせられた。


これは妻に話さなければと思い、「すごい気づきがあったんだ」とすぐにメッセージを送った。

すると、「それは今の私にとってすごく重要なことかもしれないから、すぐ内容を教えて」と返信がくる。

少し驚きながらも、すぐに電話をかけて内容を伝えた。


結果として、妻が想定していた内容とは違っていたようだが、ぼくの方こそ大きなメッセージを受け取ることになった。

「子どもからすでに一生分の愛をいただいていたんだ」という感動を伝えると、妻は「そんなこと当たり前でしょ、毎日そのことばかり考えているよ」とあっさり言う。

心の中で「妻よーーー!」と叫んだ。

いつものパターンだ。


そしてぼくが、「ただ、記憶にはないのだけれど、ぼくが1歳から3歳までの頃、母にちゃんと愛を注げていたのかな」と、何の意図もなく、ふと頭に浮かんだことを口にした。


その瞬間、妻のスイッチが入った。


少しトーンの低くなった声で、「今から話すことはすごく重要なこと。あなたにとって大事なことはすでに分かっている」と前置きをして、彼女は話し始めた。


あなたはいつも、お母さんとの関係について『距離がある』『うまくコミュニケーションできない』って言うよね。

でも本当は、すごくお母さんのことが好きで、愛しているはず。

なのに、なぜ『母との関係がよくない』という言葉や態度をとるの?

それが理解できない。

それは『呪いの言葉』だよ。

この思い込みを手放したら、すごく大きく飛躍できるはずなのに、なぜ手放さないの?


と。

この妻のことは、間違いなく正解だとわかる。

まさに、妻に今必要な情報ではなく、ぼくに必要なメッセージがあったのだ。



呪いの言葉を発しないように気をつけることは、できるかもしれない。

ただ、「思い込みを手放す」ということ。

自分の中に、一体どんな「思い込み」があるのだろうか。


ここが、どうしても言葉にならない。

そこにあるものは、一体何なのだろう。


思い当たるのは、愛を受け取ること、愛があることを認めることが、何かの拍子で、心が傷つくことになるかもしれないという強烈な恐れかもしれない。


ここまでの人生を振り返ると「挫折」をしたという明確な経験が乏しい。

すごく順風満帆な人生だったというわけではなく、心が傷つくことを何がなんでも回避するために、できる限りの創意工夫をしてきたんだ。

創意工夫というのは、思い込みや呪いの言葉も当てはまる。


息子作 だがしや「おばあちゃんのおみせ」のチラシ用メインキャラクター
息子作 だがしや「おばあちゃんのおみせ」のチラシ用メインキャラクター



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