ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 帚木蓬生 著
たまにポットキャストで「ネガティブケイパビリティ」という言葉を耳にしていて、正直意味全然分からなかったのだけど、すごく気になってて。
たぶん、ぼくらが馴染み深いのは「ポジティブケイパビリティ」だろう。
言葉は知らなくとも、ポジティブケイパビリティ有意な世界の中でこれまで生きてきたに違いない。
問題を早期に解決して不確定・不安定な状態から脱出する能力が、ポジティブケイパビリティだ。 これは、学校教育なんかまさにそうで、この能力が長けていることが高く評価される。 仕事現場でも同じだ。
ポジティブケイパビリティが高いほど、有能とされる。
この能力は、人間に備わっている性質であるともいえる。 人は、分かろうとする能力が備わっている。
分からない問題をそのままにできない。
そこに意味や動機を見出し、理解しようとする。
長い歴史の中で、生存率を高めていくために、身につけた能力のひとつなのかもしれない。 コーチングの問いの力も、まさに人がもつポジティブケイパビリティの能力が自然に発動するからだろう。
ある意味、物語を創造する能力も、このポジティブケイパビリティのおかげなのかもしれない。
ど真ん中エディットワークでは、まさに、人の分かりたいという力を借りて、新しい物語をそこに生み出していく。
この力は、否定するまでもなく、すごく人間社会を発達させてきた能力のひとつだろう。
それに反し、ネガティブケイパビリティとは、答えのない問いを分からないまま考え続ける能力、対処しようのない状態を耐える力だ。
面白いのが、この能力を発見したのは、詩人なのだ。
詩人は、シェイクスピアの作品の中で、この能力を発見する。 そして、精神科医が改めてその能力に着眼し、現場で活用されていくのだ。
なぜ「発見」なのか。
それは人間の方向性・特性と逆のことであり、それも「力」だと認知するには、相当時間がかかったからだろう。
早急に結論を出さず、考えることをやめない力。 これが芸術家にとって大切な力なのだと。
そして、ネガティブケイパビリティの力の欠如が、心に大きな問題を与える。
韓国の精神科医、李先生の言葉 「人間の最高の財産はEmpathy(共感)です。これは動物でも備わっています」
相手と共感を育み、伴走者となる力の土台にあるのが、ネガティブケイパビリティである。
また、環境や情況に対して「寛容」になる力。
これもネガティブケイパビリティの作用だ。
無意識に結論を急ぎ、意味を見出そうとする状態から、意識的に共感し、寛容になる力。
ネガティブケイパビリティにとって、記憶・理解・欲望が邪魔をする。 これは、音楽や美術といった芸術に没頭するときにも、同様に記憶・理解・欲望が邪魔をするはずだ。 それを脱ぎ捨てて、感じていく。
詩人がシェイクスピアの作品に感じたのはここだ。
作品の中にシェイクスピアの存在が消え、登場人物だけが残る状態。
ネガティブケイパビリティを高めるには、芸術に触れることが重要なのかもしれない。
論語 道に志し、徳に依り、仁に依り、芸に游ぶ
ここでいう芸は芸術というわけではないが、孔子も芸術をすごく大切にされていた。
振り返って考えると、ど真ん中エディットワークでは、ポジティブケイパビリティを有意的に利用し、課題の提出・対話・ど真ん中名刺の製作においては、ネガティブケイパビリティを大切にして制作している。
いい名刺ができたなって思うときは、ネガティブケイパビリティが発動している時だ。
自分でつくっているのだが自分でつくっていると思えない状態で生まれるデザイン。
相手をコントロールしよう、早期に完成させたい、結論を出したいという欲求から外れて、生まれた時だ。
新しい視点をもらえた本でした。
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