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執筆者の写真yamashina shigeru

ブレーキの正体

修身を学ぶ会富山


第29講 人生は妙味津々


人生は妙味津々と感じる力は、すごく大切だ。

ただ、いつもそう感じることができるかというと、できない。

不思議なもので、家族の問題になった瞬間に、妙味津々という心ではなく、苦の世界に見えてしまう。


なぜ、家族の場合はそうなってしまうのだろうか。

家族以外のことで、自分の身に起こる苦しいことは、大半なことは、妙味津々だなと受け止めることができるし、死が迫りくるような深刻な話を友人から相談されたとしても、心を乱すことなく受け止める自信はある。

にもかかわらず、いざ自分の家族のことになった瞬間に、苦の世界に陥ってしまう。


森信三先生の言葉を借りると、「我」に引っかかっている、とある。



自分は、「我」と「家族」を一つとして捉えているのか。

しかし、純粋に「我」だけなら、妙味津々な態度をとることはできる。


「我」が傷つくことを恐れているのか。

自分の利害を大事にしているのだろうか。

プライドが邪魔をしているのか。


正直、まだ答えがだせない。


その答えの出ない態度が、家族にも伝わり、不安にさせているのだろう。


家族ごと、ジブンゴトも含めて、人生は妙味津々で生きることはできると信じている。

しかし、ブレーキがかかっている。

 

そのブレーキの正体を知りたい。

あまりにも未熟すぎる自分がそこにいる。



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