人の過ちは、各々其の党に於てす。 過ちを観てここに仁を知る。
人間の過ちは、それぞれの仲間内で引き起こされることが多い。
だからその過ちをよく観察すれば、その人の仁を知ることができる。
(「実践・論語塾」安岡定子著)
今、ちょうど仲間内ではないにせよ、仕事の連携仲間の中でトラブルが起きている。
これまでできていたクオリティと同じ作業が、突然できなくなったのだ。
なぜそうなったのか?
原因の追究が必要になった。
人なのか。
作業時間帯なのか。
資材の問題か。
季節的な問題なのか。
これという明確な原因が分からない。
そうなると、次に起こる問題は、納期だ。
その仕事の完成を待っているお客様がいる。
どうすれば納期が間に合うか。
または納期が間に合わずとも、一番最適な解決策は何か。
原因不明のまま、問題は続く。
そして、刻々と時間だけが流れる。
そうなると、さらなる次の問題が生まれる。
その作業に関わっているスタッフのストレスだ。
「これはどこまで続くのか」
「何が正解なのか」
不確定であり、決定権もない仕事ほど面白くないものはない。
では、どうする?
この時に何を大切にして解決に挑むか。
まさに、そのときに「仁」が見えてくる。
諦めず、リスクを負い、仁から問題解決に挑む。
それができるかできないか。
やはり、その場合も、
仕事とは何か?
ど真ん中を生きているかどうか?
ここが問われる。
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