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リスクを負えるかどうか

  • 執筆者の写真: yamashina shigeru
    yamashina shigeru
  • 2020年3月20日
  • 読了時間: 2分

更新日:2020年3月22日

人の過ちは、各々其の党に於てす。 過ちを観てここに仁を知る。

人間の過ちは、それぞれの仲間内で引き起こされることが多い。

だからその過ちをよく観察すれば、その人の仁を知ることができる。

(「実践・論語塾」安岡定子著)

今、ちょうど仲間内ではないにせよ、仕事の連携仲間の中でトラブルが起きている。

これまでできていたクオリティと同じ作業が、突然できなくなったのだ。

なぜそうなったのか?

原因の追究が必要になった。


人なのか。

作業時間帯なのか。

資材の問題か。

季節的な問題なのか。

これという明確な原因が分からない。

そうなると、次に起こる問題は、納期だ。

その仕事の完成を待っているお客様がいる。

どうすれば納期が間に合うか。

または納期が間に合わずとも、一番最適な解決策は何か。

原因不明のまま、問題は続く。

そして、刻々と時間だけが流れる。

そうなると、さらなる次の問題が生まれる。

その作業に関わっているスタッフのストレスだ。

「これはどこまで続くのか」

「何が正解なのか」

不確定であり、決定権もない仕事ほど面白くないものはない。

では、どうする?

この時に何を大切にして解決に挑むか。

まさに、そのときに「仁」が見えてくる。

諦めず、リスクを負い、仁から問題解決に挑む。

それができるかできないか。

やはり、その場合も、

仕事とは何か?

ど真ん中を生きているかどうか?


ここが問われる。

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