君子は文を以って友を会し、 友を以って仁を輔く。
君子とは学ぶために仲間を集め、その友人のおかげで、仁の徳を磨くことができるのだ。
(「実践・論語塾」安岡定子著)
志を抱いたのであれば、学び続けなければならない。
では、学ぶのはひとりで効率的に学ぶことがいいのか、それとも仲間と共に学ぶほうがいいのか。
もちろん、場合によるという答えもある。
ただ、この章句で伝えたいことは、見方というか答えの導き方自体が違うのではないか。
ひとりで学ぶ良さ、仲間と学ぶ良さ。
どちらもある。
ひとりでビジネスをする良さ、仲間とビジネスをする良さ。
どちらもある。
それは、どんな成長段階にあるのか、目的は何かなど、場合によって、確かに両方の良さがありそうだ。
ただし、ここでいう「良さ」というのは、ほとんどの場合
1+1=2以上になるかどいうかという話をしているのではないだろうか。
つまり、「良さ」とは、効率性の問題であり、合理性の問題ということだ。
ひとりでするほうが効率がいい場合と、仲間とするほうが効率がいい場合がある。
無意識にそれを比較して、良さを考えていないか。
しかし、この章句は違う。
つまり、仲間と学ぶ理由は「思いやり」(仁)が育つからだと。
それこそ大事なのだと伝えてくれている。
1+1=1.5+α
そう、2以下の成果にしかならなかったとしても、「α」がついてくる。
このαこそ「仁」なのだと。
そして、どちらかというと成果や結果以上に、仁が磨かれることこそ大事だということを伝えてくれている章句だ。
ぼくにもっとも足りてない部分かもしれない。
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