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執筆者の写真yamashina shigeru

一燈照隅 万燈照国

流れを記す VOL1(動画はVOL2)



流記屋の石崎友佳里さんとのど真ん中名刺づくり。

対話の前に、安岡郷学、素読、論語の話題で盛り上がった。

まずはこれまでのお話を聞かせてもらう。

前回からのつづき


▼流記屋rukiya |人生の物語を紡ぐひと



ど真ん中エディットワークを終え、課題を提出していただきました。

そのワークシートの中に書かれた言葉の中で、気になる言葉をピックアップして話を聞かせてもらいました。



「一燈照隅 万燈照国」

一人一人がひとつの隅を照らしていけば、初めてその国は明るくなる。


その人の個性やキャラクターは、その人の生存戦略だったんだという認識をすることがあった。

本当に人それぞれ、別の個体としてみたほうがいいという経験があった。


そんなときに、各々がそれぞれの力をいい方向で発揮すればいいという、一燈照隅 万燈照国の考えを安岡正篤先生の本で出会い、感動した。



私は、これまで人に委縮して、人前で自分の力を発揮できる感覚を味わうことがなかった。

それが前職のときにやっと、いろんなネガティブな枷を外して、できるようになったと思ったら、むしろ環境と合わなくなってしまった。


だったら、自分の活かせるところはどこだろうと考えるようになった。



「今がはじまりの時なのですね」


動いていて気づくことが正解なのではないか。

今私は、「やりたいやりたい」と言っているだけだなと思い、恥ずかしくなり、まだ私はど真ん中と言えないかなと思えた。


これまで出会った方のニーズを聞いて、その人がこれからやろうとしていることをお絵かきムービークリエーターとして何をサポートできるのかはわかる。

しかし、それは組織から言われていることと全く同じで、それをただなぞっているのが嫌だ。

せっかく生きているのだから、自分のオリジナルを活かしたいという欲求がある。




「ジェネレーターという言葉について」


探究学習をずっとされている市川力さんの本で紹介されている。

ティーチャーとかファシリ―テーターとか、ちょっと離れてた位置から教え導いたりするのではなく、子どもたちと一緒に学びを創り出していく

そういう人の在り方として提唱されている。


その考えは、一燈照隅にもつながるなっと思って。


ひとつの世界の中でいいとされているものに、寄せていかれている感じが、これまでの教育の場ではあった。

これは経験的にもそうだった。


よしとされている何かに、無理やり押し込めるのではなく、それぞれが共生していく、それぞれが環境をつくっていく。

場の生成の仕方。

人それぞれの個性に蓋や抑制をかけずに、いいものにしていく

そういった考えがいいなと思った。



▼こちらが最初の動画。




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