訂正する力
東 浩紀 著
読了
対話について。
ミハイル・バフチンというロシアの文学理論家の言葉が紹介されていた。
対話の定義とは、「いつでも相手の言葉に対して反論できる状況がある」ということ。「最終的な言葉がない」状態。
これは、議論を対立させ続けるということではなく、お互いが言葉を発しながら、新たな言葉を創り上げていく行為だということ。
自分の発言が、相手に影響を与え、相手が発言する。
その言葉を聞いて、自分の言葉に変化を与え、さらに言葉を足していく。
そうやって、お互いが自分の最初の発言に固執するのではなく、影響しあうことを許容しながら、訂正していき、新たな言葉を生み出していく。
脱線を許し、ゴールを目指さない。
それが対話なんだと。
これは、まさにど真ん中名刺をデザインしているときにこの現象が起きる。
「屋号にどんな言葉を添えると心地よいか。」
これは対話を通じて、奇跡のような感覚で生み出されていく瞬間がある。
このときに使われているのが「訂正する力」なんだと。
お互いの発言を否定するとも肯定するともなく、変化を許容し、訂正を加えつづける。
新たな意味、新たな物語を与えていく。
まさにエディットワークだ。
本書の最後にまとめとして、このような言葉が書かれてあった。
縄文と弥生、朝廷と武士、攘夷と開国、作為と自然・・・。
本書では第三の道を掲示します。「自然を作為する」という立場です。変化を変化として許容しながら、それでも一貫性を保つ立場です。そのような立場を生み出す力こそ訂正する力です。
ぼくがどこまで理解できているかは定かではないが、ど真ん中エディットワークで向き合ってもらいたいテーマは、まさにこの表現どおりのことだ。
やらなければならない仕事。msut
他者から求められている役割。needs
自らやりたいと思うワクワク。wants
この3つを一貫性を保ちながら、どう重なり合わせていくか。
これは論理的にどうかというよりも、そこに物語があるか。
「じつは、・・・・である」と新たな解釈を生み出すことができるか。
ここがすごく大事だと思っている。
まさに訂正する力、編集する力だ。
訂正することに果敢にチャレンジしていく。
ど真ん中エディットワークでは、それを目指しているんだと、背中を押してくれたような本だった。
と、解釈してもいいよね。それこそ訂正する力だと思う。
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