どの職業であろうが教育という世界は存在するだろう。
ただし、教育とは何かを考えた時、
20年先、30年先に自分はどんな人生を歩んでいるか、
教える相手はどういう人生を歩んでいるのか、
自分たちが住む国はどうなっているのか、
この世界はどこに向かおうとしているのかを予見しつつ、
常に考えていくことは大切なことなのだろう。
むしろ未来を予見することこそ教育なのかもしれない。
たとえば、
一瞬一瞬を丁寧に生きるという価値観も大切だ。
しかし、子を持つ親となるとどうだろう。
この命の歩みが、どう次に活かされるか…、
そのことを考えるとき、予見することは大事だ。
次の世代を想い、命を使う。
そこに人として生まれた意味があるのかもしれない。
生命として。
これまでの時代は、「仕事」という感覚と「遊び」という感覚が
あまりにもかけ離れた時代だったのではないか。
それが、これから20年先ぐらいにはひとつになっていくのではと予見する。
対立物の相互浸透の法則だ。
対立しているものは、各々がそれを追求していくと、
いつのまにか似たものにたどり着く。
仕事と遊びがひとつのものとなる世界がやってくれば、「仕事」という言葉自体が死語になるのではないか。
生きるということが、そのまま仕事であり遊びでもある。
いちいち、これは仕事だ、今から仕事だと分ける感覚はなくなり、
日々生きている。という価値観になっていくのではないか。
言葉で説明することはとても難しいが。
そんな時代に向けて、自分という存在が小さな石であろうとも
世の中に貢献できればと思う。
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