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一道をひらく道(1)

どの職業であろうが教育という世界は存在するだろう。

ただし、教育とは何かを考えた時、

20年先、30年先に自分はどんな人生を歩んでいるか、

教える相手はどういう人生を歩んでいるのか、

自分たちが住む国はどうなっているのか、

この世界はどこに向かおうとしているのかを予見しつつ、

常に考えていくことは大切なことなのだろう。

 

むしろ未来を予見することこそ教育なのかもしれない。


たとえば、

一瞬一瞬を丁寧に生きるという価値観も大切だ。


しかし、子を持つ親となるとどうだろう。

この命の歩みが、どう次に活かされるか…、

そのことを考えるとき、予見することは大事だ。

 

次の世代を想い、命を使う。

そこに人として生まれた意味があるのかもしれない。

生命として。



これまでの時代は、「仕事」という感覚と「遊び」という感覚が

あまりにもかけ離れた時代だったのではないか。


それが、これから20年先ぐらいにはひとつになっていくのではと予見する。


対立物の相互浸透の法則だ。

対立しているものは、各々がそれを追求していくと、

いつのまにか似たものにたどり着く。


仕事と遊びがひとつのものとなる世界がやってくれば、「仕事」という言葉自体が死語になるのではないか。

生きるということが、そのまま仕事であり遊びでもある。

いちいち、これは仕事だ、今から仕事だと分ける感覚はなくなり、

日々生きている。という価値観になっていくのではないか。


言葉で説明することはとても難しいが。

そんな時代に向けて、自分という存在が小さな石であろうとも

世の中に貢献できればと思う。

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