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一道をひらく道(2)

明治以降、確かに教育界から巨人といわれる人物が輩出されることはなかったかもしれない。

それは一体なぜかを考えた時、資本主義経済ということに行き着くのではないか。


経済の発展、科学技術の進歩による

人々を豊にする力。


人の思想や教育の世界にスポットが当たることはなかったからではないか。


いかに短時間で、出来る限り大量に、再現性のある価値が優先され

その影響力の大きさを誰もが欲した。

つまり、経済界からは巨人が現れても、教育界では生まれなかった。


この流れは、人類の進歩にとって必要なことだったのかもしれない。

それが時代のひとつの流れだったのだろう。

 

ただ、

経済が、科学技術が、人を育てるのかー。

そこはやはり違う気がする。


道が人をつくるのではない。

人が道をつくるのだ。

これは論語にある言葉だが、人は傲慢になってくると勘違いを起こす。


AIが学校の先生として教壇に立つ日はやってくるかもしれない。

そのとき、人が人として人を育む役目を放棄するということは

決してあってはならない気がする。


人間として生まれてきた意味をどこまで深く考えるか。

それこそこれからの時代に問われている気がする。


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