top of page
執筆者の写真yamashina shigeru

一道をひらく道(2)

明治以降、確かに教育界から巨人といわれる人物が輩出されることはなかったかもしれない。

それは一体なぜかを考えた時、資本主義経済ということに行き着くのではないか。


経済の発展、科学技術の進歩による

人々を豊にする力。


人の思想や教育の世界にスポットが当たることはなかったからではないか。


いかに短時間で、出来る限り大量に、再現性のある価値が優先され

その影響力の大きさを誰もが欲した。

つまり、経済界からは巨人が現れても、教育界では生まれなかった。


この流れは、人類の進歩にとって必要なことだったのかもしれない。

それが時代のひとつの流れだったのだろう。

 

ただ、

経済が、科学技術が、人を育てるのかー。

そこはやはり違う気がする。


道が人をつくるのではない。

人が道をつくるのだ。

これは論語にある言葉だが、人は傲慢になってくると勘違いを起こす。


AIが学校の先生として教壇に立つ日はやってくるかもしれない。

そのとき、人が人として人を育む役目を放棄するということは

決してあってはならない気がする。


人間として生まれてきた意味をどこまで深く考えるか。

それこそこれからの時代に問われている気がする。


閲覧数:6回0件のコメント

最新記事

すべて表示

時間を超える

修身を学ぶ会富山 第3講 人生二度なし 「人生二度なし」という真理を痛感して、いささかでもよいから、その精神が死後にも生きるような人間になって戴きたいと思うのです。でなければ、せっかくこの世へ人間として生まれてきた意義はないと言えましょう。 自分は、この言葉にある「...

純真さ

修身を学ぶ会富山 第2講 立志 真に志を立てるということは、この二度とない人生をいかに生きるかという、障がいの根本方向を洞察する見識、並びにそれを実現する上に生ずる一切の困難に打ち克つ大決心を打ち立てる覚悟がなくてはならぬのです。...

人の望み

修身を学ぶ会富山 第38講 置き土産 自分とは一体何者なのか。 それを問いつづけることが人生なのかもしれない。 自分は誰なのか。 肉体が自分なのか。 思考が自分なのか。 感情が自分なのか。 考えて、言葉にして、話しているのは、「ほんとうの自分」なのか。...

Comments


bottom of page