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執筆者の写真yamashina shigeru

一隅を照らす

朝活大学素読会

今回の内容に宝とは何かということがありました。

その解説として、有名な「一隅を照らす」という最澄の言葉が紹介されていました。




一隅を照らす


国宝とは何物ぞ、

宝とは道心なり。

道心ある者を名づけて国宝と為す。

故に古人いわく、

径寸十枚、これ国宝にあらず。

一隅を照らす、これ則ち国宝なり。


伝教大師 最澄



「大学」では、

徳は本なり、財は末なり。

という言葉で表現されている。


なぜ、金銀財宝よりも、道を求める人が国の宝なのか。

これもしっかりと大学に書かれてある。


君子はまず徳を慎んで積むことが大切である。

徳とは、自然のルールを素直に受け入れ実践することで、身体にしみ込み残ったもの。

つまり、徳を慎むということは、実践をしていくということになる。

徳を慎めば、人は集まってくる。

人が集まってくれば、その地域は拓けてくる。

その地域が拓けてくれば、そこに財が集まる。

財が集まってくれば、そこにビジネスが生まれてくる。

だから、徳が本であり、財は末なんだ。



論語の中にも「一隅」と言う言葉を使った有名な章句がある。

自己啓発の「啓発」の語源になっている章句だ。


子曰わく、

憤せずんば啓せず。

悱せずんば発せず。

一隅を挙ぐるに、

三隅をもって反せずんば、

則ち復せざるなり。


知りたい気持ちや情熱が溢れ出して、どうにもならない状態でないと、私は教えない。

言いたいことが満ちているのに、どう表現したらいいのか分からず、もどかし状態にならないと、私は導かない。

ひとつのことを教えたら、残りの3つのことを自分で推測できないようでは、二度と私は教えない。

 


そんな意味だ。


学びたいという情熱があること。

教育は、そこからしか始まらない。

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