朝活大学素読会
康誥に曰わく、惟れ命常に于てせずと。
善なれば則ち之を得、不善なれば則ち之を失うを道う。
楚書に曰わく、楚國は以て寶と爲す無く、惟善以て寶と爲すと。
舅犯曰わく、亡人以て寶と爲す無く、仁親以て寶と爲すと。
ざっくり説明すると、天命は常にあるものではない。善行を積めば得られし、不善な行為を行えば、瞬く間に失う。
何を宝にするのか。
そういった内容だ。
伊與田さんの解説には、「一隅を照らす」という話が紹介されている。
つまり楚の国のように、自国には財宝のような宝はないが、善行を行える家臣がいる。それこそ宝だと。
では、宝となる人材とは。
それが「一隅を照らす」ような人材ということになる。
有名な詩がある。
この田中良雄さん。
実は富山県出身の方でした。
1890年富山県射水郡浅井村生まれ。高岡中学校、第四高等学校卒業。1915年東京帝国大学法学部を卒業し、同年6月住友総本店に入社。人事部人事課長、人事部長を経て、1941年住友本社常務理事に就任。1947年に退職した後、住友工業高等学校理事長や住友病院理事長などを務めた。
一隅を照らすもので
私はありたい
私の受け持つ一隅が
どんなに小さい
みじめな
はかないものであっても
悪びれず
ひるまず
いつもほのかに
照らして行きたい
「一隅を照らす」とは、一体どういうことなのか。
たとえば地球は光を発していない。
光を放っているのは太陽だ。
では自分は光を放っているだろうか。
現役で働いているとき、名刺には会社名や肩書がある。
現役を退いた時、つまり、会社や肩書といった「光」がなくなった後でも、光つづけることができるだろうか。
自分の存在が光となり、誰かに影響を与えつづけることができるだろうか。
それを伊與田さんは説いている。
これはとても大きなテーマなのではないか。
経営者の立場で考えるとこのテーマの深さを理解できる。
働いていただくスタッフに「一隅を照らす」ような人間に成長してもらいたいと願うこと。
これは、会社にとって必要な人間になってもらいたいということではなく、会社を退社した後でも、個として光つづけることができる人間、さらには、会社で利益を生み出すために身につけた技術が優秀ということではなく、働くことからリタイアした後も、光かがやける人間力を育てることを命題としている。
そういった経営者や人物こそ、宝なんだと、大学で伝えている。
ど真ん中を生きるとは、一隅を照らす生き方とも言えるのように思う。
自分の物語を紡いで生きる。
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