不完全さがある喜び
- yamashina shigeru
- 11月12日
- 読了時間: 3分
不完全に善く生きる(6)
シニア×学生でハッピーな社会を「あなろまっち」のメンバーでもある朽木くんとのど真ん中名刺づくり。
まずは、ワークシートの内容をシェアしてもらいます。
前回からのつづき。
▼あなろまっち
「あなろまっち」とは、シニアと学生がありのままの姿で交流することが出来るイベントを開催しております。
シニアと学生が「持ちつ持たれつ」の関係を実現するために日々、大学の垣根を越えた運営メンバーで次回イベントへの作戦会議を行っております。
前回、名刺の表面に大きく載せる言葉として「善く生きる」がいいということになった。
これはソクラテスの言葉。
朽木くんにとっての「座右の問い」でもある。
また、丁寧でスマートな言葉を話せる朽木くんから感じる「真面目」「誠実」という第一印象とは別に、「ユニーク」「面白い」という一面も持ち合わせているという話をしてきた。
(朽木)
「善く生きる」という言葉は、かっこいいだけではなく、中身もすごく考えられているなと思う。
(沈黙)
(山科)
朽木くんを表現する肩書として、「不完全を楽しむ」とした。
これは朽木くんにとっての志の言葉でもある。
朽木くんのこれまでの人生で、自分はダメな人間だとレッテル貼りをしてしまう課題があった。
でも、それも含めていいじゃないか。
不完全ということは、成長できる証でもある。
不完全を楽しむという生き方を目指したい。
そういった意味で、「不完全を楽しむ」という志になったのだと思う。
この座右の問いでもある「善く生きる」と、志の「不完全を楽しむ」は、ひとつにできるのではないか。
今の朽木くんにとって、「善く生きる」道を選択することは大事なんだけど、むしろ、不完全さを受け入れる、言い換えるならば、自分を愛する、自分を受け入れるということが、より大事なんじゃないか。
なぜならば、今、生きる道を決める必要はなく、大学生という立場である以上、可能性しかない状態なのだから。
不完全さを歓迎して、冒険にでることも大きな価値があるなと。
「不完全に善く生きる」
「未完成に善く生きる」
「かっこ悪く善く生きる」
こういった言葉にしてもいいかもしれない。
「善く生きる」だけだと、朽木くんのA面だけを表現したど真ん中名刺になりそう。
大半の方から見られるA面の朽木くんと、親しい友に見せるB面の朽木くん。
この2つとも表現できる言葉になるといいと思う。
(朽木)
それであれば
「不完全に善く生きる」
がいいです。
「不完全」というネガティブな要素も含め、それを楽しむ自分でありたいと思う。
(山科)
「不完全に善く生きる」ということは、少し勇気がいること。
自分の弱さ、未熟さも、相手に伝えることになる。
でも、そっちのほうが等身大であり、今の朽木くんにとって、完成形を目指すよりも、より変化を楽しむことができるのではないか。

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