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発酵する対話

豊かな人類の文化と生きる(2)


株式会社 結経舎 の横山経さんとのど真ん中名刺づくり。

名刺をロゴを作りたいということではじまりました。


経さんの活動はこちら


ことばのもり

「ことばのもり」は、対話型美術鑑賞にふりかえりを加えたコミュニケーション実践講座です。作品を見て感じたことを語り合い、その後の対話を通して、 「傾聴」と「伝え方」の質を深めていきます。


対話型美術鑑賞

1枚の絵を囲み、目に留まったものや感じたことを言葉にし合う鑑賞法です。ニューヨーク近代美術館で生まれた教育プログラム(VTS)をもとに、 一般社団法人Arts Aliveが独自に発展させた『アートリップ」の認定アートコンダクターとして、その普及活動を行っています。


KOUKOUHONPO

KOUKOUHONPOは、「敬う」をカタチにする敬老雑貨店です。 心ときめく贈り物を通して、 歳を重ねることの豊かさと、世代をつなぐ温かな未来を届けます。




前回、高齢者の対話や関わりに興味があることをお聞きしました。

なぜ高齢者なのか。


(横山)

明日が楽しい、ということが幸せ

という言葉がある。


私たちが行く道にいる人=高齢者。

明日死ぬかもわからないが、人は誰もが老いる。

高齢者が「明日が楽しい」と思えていなければ、私たちも幸せじゃないのではないか


幸せと思えて人生を閉じる人をちゃんと見送りたい。



あ。

でも。


単純に、高齢者の方と話すことが楽しい。

人の話を聞くことが好き。

どうせだったら、お年寄りの話を聞くべきだろうと思っている。


アフリカのことわざ

お年寄りが一人死んだら、図書館がひとつ燃えた



私、もともと読書が好きなんです。

本を読むことは、結構体力がいる。


でも「人の人生のほうがより小説」というか。

お年寄りの話を聞くことは、ラクしてすごい小説を読み聞かせしてもらっている感覚になる。

こんなおもしろい話を聞かないまま、その方が亡くなったらどうしようと思う。


これまで、聞いてよかったと思う話しかない。

同じことを何度も話されても、聴きづらいと思っても、いい時間でしかない。



(横山)

対話型美術鑑賞(1枚の絵を囲み、目に留まったものや感じたことを言葉にし合う鑑賞法)をするときも、高齢者と対話するほうがおもしろい、豊かだと感じる。

対話の中に「発酵」している感覚がある。


子どものことも好きだけど、心の底から子どもの未来に興味がない。

子どもたちは、自分で生きたいだろうし、生きる力がある。

それを邪魔しないほうが大切だろう。


たとえば、マラソンのスタートのときに伴走して応援しないと思う。

でも、ゴール地点では出迎えがいっぱいあるほうがいい。



介護施設で過ごす高齢者が、頭の中に物語があるだけで、誰にも話すことなく亡くなっていくのはすごくもったいないと感じる。


1分でも1秒でも生きるとは誰でも大変なことで、生き方はいろいろあっても、やっぱり年上の人を尊敬している。


子どものこと、環境のこと、いろんな社会問題に対して共感はするが、自分が一生懸命に取り組むまではいかない。

でも、高齢者の喜びに関わることはできる。


私もそこにいくから。



(横山)

おじいちゃんが納得するまで、大体8時間ぐらい聞かないといけないと思っている。


最初は自分の話しかしない。

トータルで8時間ぐらい浴びるように聞くと、

「ところで横山さんは何をしている人なの?」

と、初めて興味をもってもらえる瞬間がある。


固まった人が、必ず柔らかくなる方法がある。

その過程で聞ける話は、聞いている人にも必ず得るものがある。



8時間ぐらい聞くと、聞くべき時間が満了したというサインがあるんです。

それは、必ず、「そうかなあ」と言って、手とか足を組む


寝たきりで足も動かないはずなのに、寝たまま、足を組んだ方もいる。

どうしてもそのポーズがとりたいみたい。

そういった瞬間に、何度も出逢ったことがある。


自分をほめられている、自分を肯定されている、自分を受け入れられている。

魂が喜んで、満足したというしるし。

それを観るのが楽しみ。



(横山)

人は誰もが、ゴミのようなこと、言いたいこと、ちょっとした文句が2割ぐらい溜まっている。

それがなくなると、美しいもの、好きなもの、神様のこと、本当にしゃべりたいこと、感性の話がある。


ゴミの話がいっぱいあると、喜びの話ができない。

さらに喜びの話の下は、自分との対話、相手がいらない話、自分の中の妄想で楽しめる世界がある。

この最下層までたどり着くと、歳をとって孤独になることがなくなる。


だから、ごみの話を取り除いて、喜びの話、感性の話をしてもらいたい。

それができたら、自分のひとり時間も幸せに安定して過ごすことができるのではないかと仮説を考えていて、それを探究している。


それを傾聴で行うと、ゴミの話を取り除くのに8時間ぐらいかかる。

実は、その過程をすっ飛ばして、アートの話(対話型美術鑑賞)をすることに可能性を感じている。



対話型美術鑑賞について。


ゴミの話を取り除かないと次にいけないと思っていたけど、普段のゴミの話を横に置いて、日常からいきなり絵画の話を始めると、、いつのまにかゴミがなくなることがある。

感性の話で満足すると、ゴミの話がどうでもよくなる。


ここに可能性を感じている。


闇をわざわざ見なくても、幸せな対話ができるのではないか。

それを確かめたくて、いま我武者羅にしている感じです。



つづく。

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