修身を学ぶ会富山
第27講 世の中は正直
50年、人間を生きていると、この世界は不公平なこともあることを知っている。
戦国の世、中世ヨーロッパ、現代にも。
だからと言って、「世の中は結局不公平だ」と生きることは正しいのか。
きっと、それは違う。
すごく難しいことだけど、人の一生の時間で考えると、確かに不公平は存在するが、200年、300年のスパンで考えると、やはり世の中は公平であり、正直なのだろう。
問題なのは、その視座で生きることができるかどうか。
その視座を手に入れるため、宗教は存在するのかもしれない。
それは宗教だけに偏った話ではなく、資本主義のシステムも、ある意味において、世の中は正直だということを実現させるためのシステムだったのではないか。
生まれや身分に関係なく、能力次第で地位を得ることができる。
そこには自己責任と個の自由の世界だ。
しかし、それが格差や、働くことと生きることを分けることによるストレスを生み出している。
これも、長い時間の中で、新たな秩序が生まれてくるのだろう。
世の中は正直なのだから。
大事なのは、神の公平と、世の中の正直は、別物ではないということ。
死んだあとの世界に公平さが待っているのではなく、世の中も正直だということ。
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