今日は月に一度の論語塾でした。
まず最初に書を書きます。
今回は「恕」。
末っ子の書。
子貢問ひて曰く、 「一言にしてもって終身これを行ふべき者ありや」 子曰く、 「それ恕か。おのれの欲せざる所、人に施すことなかれ」
子貢がおたずねして言った、 「ただひとことで、一生行ってゆくに値することばがありましょうか」 先生が言われた、
「それは恕(すなわち思いやりの心)だろう。 自分がされたくないことは、人にもしてはならないということだよ」
この恕という言葉を大切にしている二人の有名な方がおられる。
ペシャワール会医療サービス総医長
中村哲医師
「非戦・平和を保ち続ける知恵は、結局一人一人の良心、人間らしさ、つまり〝恕〟の心だ」
ノーベル生理学・医学賞受賞
大村智先生
「人の思いをくむことが共同研究では大事。孔子は『論語』の中で、人生で一番大切なことは〝恕〟すなわち〝思いやりの心〟であると述べています。皆さんは良い習慣を身につけるとともに、思いやりの心を大切にしてください」
恕については、何度かブログでも紹介させていただいたことがある。
自分がされたくないことを人にしないということだが、この章句の重要なことは、子貢の質問の部分だ。
つまり、「一生行っていくこと」となる。
どんな状況であろうが、どんな立場であろうが、何歳になろうが、恕をつらぬくということは、決して生易しいことではない。
思いやりの心というと、なんだか、やさしく柔らかいイメージがするが、これを本気で生涯貫くとしたとき、そこには鋼の覚悟が必要になってくるだろう。
もうひとつ。
相手に何をしてあげればいいかということではなく、自分がされたくないことを人にしないということだ。
何をするかではなく、何をしないか。
これもできるようでなかなかできないことである。
恕と科学
恕とAI
恕が次の時代を切り開く大事なヒントになるのではと感じる。
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